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目の前に人が倒れていたらどうしますか?

今回は改めて私の考えるチャリティに対する哲学を整理してみました。哲学というと大げさかもしれませんが、要はチャリティに対する思いや考えといったところです。何も思いや考えのない中でチャリティ活動をやっているわけではありません。当然のことながらそこには思いや考えは存在します。

 

なぜ改めてチャリティに対する哲学を整理しようと思ったのか?それは今の日本にチャリティが存在しないからです。確かに活動や形は存在しているかもしれません。しかしこれといった哲学書が存在するわけでもありません。すなわち“チャリティとはなんなのか?”と言う問いに対して明確に答えられるものが存在しないのです。よって今回は私自身のチャリティに対する思いや考えを形にしてチャリティの哲学を整理いたしました。

 

【私自身のチャリティ哲学】

私自身のチャリティに対する哲学の根幹は至ってシンプルです。

「目の前に人が倒れていたらどうしますか?」という問いです。

この問いですが、色々条件が重なり例えば山で遭難していて自分の命も危ないという状況ならやむを得ず助けることは出来ないと思いますが、(この状況で人を助けるのは登山のルールではNGとされています)

また別のシュチュエーションだと電車の座席に座っているとき、目の前に身体の不自由な人が居たら席を譲るといった行為と同じです。

2つ程例に出しましたが、これらの行動をとるのは私だけではありません。今この記事を読んでくださっている皆さんも同じです。誰かが助けを求めている状況なら自分に出来る限りのことはするでしょうし、協力することだと思います。“これってチャリティじゃないのですか?”ということです。そして人は1人では生きていけないということです。何も助けを借りずに生きている人間はいません。それは生まれた瞬間に分かることです。産婦人科の助産師さんによって赤ちゃんはとりあげられます。この時に赤ちゃんが自分でへその緒を切って出てこないですよね?この時点で誰かの助けが必要なのです。生まれて1秒で人の助けを借りるのです。

このようにチャリティは協力し合うという関係が根底にはあるのではないのでしょうか?

詰まるところチャリティは何かをするだけではなく、誰かに支えていただいているという人間が生きていく上での本質的なことこそがチャリティの本質的な部分につながると私自身は考えています。

このように私が考えるチャリティの哲学を一言でまとめると「支え合う」ということではないでしょうか?

もう一つ大事な視点は、“自分の出来る範囲で自分の出来ることをやる”ということです。そして自分の価値を最大限に活かせることをするように心がけています。

なぜならば、自分の能力が活かせないところに力を注ぐぐらいならば能力を活かせる人が行った方が相手のためになると思っています。そして最終的には回り回って自分に返ってくる。それは次第に雪だるま方式で大きくなってくると思います。このように小さなWin-Winな関係こそが次の新しい形を生むのではないでしょうか?

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