ようこそ、ソーシャルスタンドへ

生きる自由と選択の自由 (2)

前回は小川龍馬さんについてどんな方なのかお伝えしました。今回はその活動の中のエピソードを交えながら実際にどんな様子なのかをお伝えできればと思っています。

 

「活動の中で楽しかったことや感じたことはなんですか?」

セネガル人は基本的な技術は高くありませんが身体能力がとても高く、型にハマっていないため日本人が想像できないようなプレーが起きるので、日々楽しませてもらっています。

 

 

「活動の中で難しかったこと、大変だったことはなんですか?」

野球というスポーツを知っている人のほうが珍しいことや大人の指導者がいないこともあり、子供たちがルールを理解するのに時間がかかりました。はじめのうちは一つのプレー事に説明を行っていたので、子供たちも楽しくはなかったと思います。そのため、子供たちのモチベーションをどうやって保つかを常に考えていました。

 

 

「活動をやっていくなかで変化はありましたか?(心境や周囲の反応など)」

はじめのうちは変なスポーツやっている外国人というように思われていたので、グラウンドでも道を歩いていても遠くから見ているだけの人が多かったです。ですが、毎日子どもたちと関わってきたことで、今はBaseballを教えているRyomaへと変わりました。そして、練習のない日でも子供たちから「野球をしよう!」と誘ってくるようになり、子供たちの遊びの選択肢のひとつとして野球が入ってきたことをとても嬉しく感じています。

 

 

「日本とセネガルの違いで驚いたことはありますか?」

セネガルは複数の民族により構成されていて、民族によって性格や体の特徴なども違うように感じます。ほとんどの一般人男性がトレーニングを行っていて、日本人よりも身長が高く体の厚みがあるため、話しているだけでも迫力を感じます。

 

 

「最後に小川龍馬さんにとって支えあう、共存するとはなんですか?」

お互いの足りないところを補い合い、主張を認め合った上で絶対に譲れないところは譲らないということだと思います。そして、お互いの存在があくまでプラスαであることが共存する、支え合うことなのではないかと現在は考えています。

 

 

「おわりに」

2回に分けて小川龍馬さんがセネガルで野球を広めていることについてお伝えしました。青年海外協力隊で活動をしたいと思ったきっかけは大学時代に高校の同級生と話していた時に思ったそうです。

「俺らには生まれたときからたくさんの選択肢があってそのなかでいろいろ選んで生きてきているけどアフリカの子供たちはきっとそうじゃないだろうなー」

 

最初は漠然だったそうです。でもこうして思い描いていたことが現実になったのです。この取材で思ったことが2つあります。
 
1つは『選択肢の重要性』日本ではある程度の選択が出来ます。情報化社会で多くの情報が世の中では飛び交っています。そこで自由に情報を得ることができます。一部情報が偏るという事例はありますが、簡単にインターネットで調べることができ、そこで判断することができます。しかしセネガルなどまだ発展途上国の国ではそもそもの選択肢が少ないのです。そういった意味でも情報、選択肢は重要だと改めて感じさせられました。
 
2つめは『思い続ける重要性』雨垂れ石を穿つという言葉があるようにどんなに小さな力でも思い続ければこうして成果が表れるということです。初めは漠然とした考えだったかもしれません。しかしセネガルの子供たちは野球に出会い、野球を通じて協力することなど道徳を学びました。最初は小さかった思いを持ち続けていたからこそ周囲の人が興味を持ち始めていって大きな力になっていったわけです。そして現地の子供に選択肢を伝えることができたのはひとつの未来に繋がったのだと思います。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です