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なぜユニバーサル絵本の制作に取り組むようになったのか

ユニバーサル絵本をご存知ですか?

本文を点字にした透明シートを、見開きごとに挟み込んだ絵本です。 こうすると、目の見える子どもも見えない子どもも、一緒に同じ本が使えるようになります。 今回は、ユニバーサル絵本を作成しているユニリーフの代表:大下さんに 「なぜユニバーサル絵本の制作に取り組むようになったのか」 「ユニバーサル絵本が何をもたらすのか」 についてお話をお伺いしました。 ub4

大人がどのように接するかで子どもがいかに影響を受けるかということを実感しました

-ユニバーサル絵本の制作に取り組むようになったきっかけを教えてください

娘が2歳半の時に失明しました。 娘は、保育園に入ったのですが、先生含め大人の方の抵抗が強くて、皆、引いてしまっていたように感じました。例えば、お稽古ごとも全て断られ、社会から否定されている気持ちになったこともありました。 そんな中でも、娘を普通の小学校に行かせたいと思い、そのようにしました。 法律的には希望があれば入っていいということでしたが、現場は初めてだったので普通の子どものようには扱ってもらえず、過剰に反応していた印象がありました。(目が見えないということで)“特別な子ども”という感じがあったのだと思います。

何かあれば目のせいにされ、必ずそこに原因があるようにされてしまう。一生懸命に皆でやろうという方針で受け入れて頂いたので、よかった方だったとは思いますが、それでも、親の感覚としては、期待とずれていました。 私としては皆の中で過ごさせたいから普通小学校に入れたのですが、どうしても、一人だけ取り出して勉強をさせた方が“効率いい”ということでそういう流れになってしまうんですね。 でも、私はなるべく入れたい。そこのコミュニケーションが難しかったです、いくら言っても分かってもらえない印象がありました。

-どのような形で、一人だけ取り出してという流れになりがちだったのですか?

(目の見えない子どもが普通小学校に入るのは)横浜市全体で初めて正式に受け入れられたケースでした。大盤振る舞いで盲学校の先生をつけてくれたんですね。 でも、逆に、盲学校の先生は大人数の普通小学校を知らないんですね。 一人で盲学校の技術を教えるという方向に走りがちで、皆と一緒にという発想がない。

私の方でも葛藤があり、先生の方でも葛藤があったかと思います。 なので、そういう子どもが普通に皆の中で過ごせるということが心理的にどんなに大変かということを実感していました。 盲学校の先生は自分の専門性がある為、この教育は私が・・・という形になり、他の先生も遠慮してしまいました。

-ちなみに冒頭で“大人が過剰に反応する”というお話を伺いしましたが、子どもはいかがでしたか??

実は、大人さえ普通に接してくれたら全然OKなんです。子どもには、先入観が全然ないので。特に1年生、2年生くらいなら先入観が本当にないです。 そんな中で、大人の影響がどんなに大きいのかと感じたのは、娘が小学校3年生の時でした。クラス担任が変わったんですね・・・毎年、何か起こる先生で、学校側は娘についている先生と2人体制になるから、いいと思ったのかもしれません。 しかし、その担任に変わった途端、生徒たちに、「あの子はかわいそうな子どもだよね」「かわいそうだから助けてあげないといけないけど、それは大変だよね。」という投げかけやオ-ラを出してしまったのです。

そうすると、あっというまに“もの”扱いされ始めて、かわいそうなものになってしまったんです。例えば、今まで手をつないでいた子が、モノのように彼女の肩を持って動かし始め、世話しなければいけないものとして扱うようになりました。 娘は非常にそれに戸惑い、パニックというか不安定になり、精神的にまいってしまった。 それで、学校の方にお願いして、翌年に先生を変えて頂いたんです。すると、同じメンバーなのに3日で変わりました。今まで、少しいじめていたような子どもが点字をやってみたいとか言ってくれたり。 そういった経緯もあり、大人がどのように接するかで子どもがいかに影響を受けるかと思うと本当に怖いなと思いました。

大人は固まっています。働きかけるのは子どもだなという風に感じていました

大人の影響が大きいとはいえ、既に大人になっている方に対して、障害がある方に普通に接してくださいと言っても難しいんですね。それは労が多いばかりで効果が薄いように感じます。 大人は(価値観が)固まっています。その人がどのように生きてきたのか?というものが障害を持っているような人の前で出てしまうと思います。排除か、見ぬふりか、過剰な親切か・・なかなか対等な隣人とはいかない。

それは、ひとえに慣れていないということが原因だと思います。こういう人と接したことがあるな・・・という経験があれば、腫れ物ではなく普通の人になると思うんですね。 あまりにも障害を持っている方と接点がない隔離教育をされているので、障害がある人がいると、それで戸惑いますよね。外国の人が前にいてどうやって話をしようと思うのと同じことで。自分が今まで経験がない人にどうやって接したらいいか分からない。

後からのこじつけかもしれないですが、実感としてそのように感じていた為、働きかけるのは子どもだなという風に感じていました。 私がユニバーサル絵本に取り組むようになったのは、たまたまとはいえ、そのような実感があったからだと思います。 娘が普通小学校に行った中で、現場にノウハウがない、私が勉強をして相談をして情報を集めて、彼女が一緒に過ごせるようにということをやってきました。その過程で「ユニバーサル絵本があるよ、すごく意義があるけど、誰もやってくれなくて」という話を聞いたんですね。 “目の見える子どもも見えない子どもも、一緒に同じ本が使える、子どもにアプローチすることが出来るユニバーサル絵本”の存在を聞いた際に、私の方でもイメージがわき、これ出来るかなと思いました。 10年以上、視覚障害について学んできたことが活かせればいいなと思っていました。

目が見える子どもと目の見えない子どもが同じ本を使用出来るということに意味があると思っています。

 

-実際に、ユニバーサル絵本は今、どのように活用されているのですか?

ユニバーサル絵本は5つの学校に貸し出しています。5~10冊を常時、教室の中に置いて頂いている形で、それを皆で使ってもらっています。

-本の評判はいかがですか?

やっぱり本だけを見るよりも使ってもらえるといいと言われます。 隣のクラスから借りにくるよという声は聞いています。学校の先生にもいいよと言われてます。また、盲学校にも貸し出しています。弱視の子と全盲の子が一緒に使うとか、親御さんや兄弟とお子さんが一緒に使うとかが多いようです。

-理想的な読み方はあるのでしょうか??

隣に座って一緒に読むということはないかもしれないと思います。 でも、同じ本を使用出来るということに意味があると思っています。 今までは、全盲の子どもは自分で本を手配してきて、特別な所に注文し、読んでいました。更に、誰もそれが何を読んでいるのか分からないという状態でした。

-特別なものを使うとういことは、周りにとってもその子にとっても違和感が出てしまうということですか?

そうですね。見えない子だけ自分の本がないということですよね。 皆が図書館に行った時に、その子だけ借りれる本がないということです。そうすると特別な所に訪問して、その子だけ特別な本を読み、一人になってしまう。 やっぱり小学校くらいの年の子にとっては、皆と一緒ということが大事だと思います。 自転車乗ったから自転車乗りたいとか。うちの子どもも同様で、皆がするから私もしたいということは当然だったんですよ。 だから自分が出来ないことがあると思っていない訳です。

そこで大人がどう接するかが大事です。本人も思っていない、周りの子どもも思っていない、そこで大人がどう接するかで変わってくると思います。 また、娘の時の場合、市が入学時には普通の教科書に点字を貼る形で教科書を作った方がいいよねということで、多くのボランティアさんにお願いして、“ユニバーサル絵本とコンセプトが一緒のこと”をしたことがありました。 点字教科書は勿論、文部省が発行しているものがあり、本人にとってはおそらくそちらの方が効率的で使いやすいとは思うんです。専門家が一杯入っていますからわかりやすい。でも普通小学校ではそれはふさわしくないという判断でした。 ボランティアさんも初めてなので難しかったと思いますし、本人もどれだけ分かったかと言われると難しい所があったかもしれません。でもやっぱり皆の中で過ごすならそちらの方がいいと思います。コンセプトがそちらの方がいいと皆が思っていたから実現出来たことだったと思います。

後付けで特別なものは嫌だから、始めから出来ることは始めからしようというのがバリアフリーとユニバーサルデザインの違い

 

-イギリスの方でユニバーサル絵本が生まれたと聞いています。イギリスでも同様の形で生まれたのでしょうか??

イギリスでは、外から盲学校に赴任した図書館司書の方が盲学校の本を見て、これでは普通の子どもが使用出来る本がないではないかとショックを受けて、作成したのが始まりと言われています。そしたら想定以上に評判がよく、作って欲しいというリクエストがあって広がったと言われています。 外国には“皆と一緒がいい!”という思想があります。 バリアフリーというのは全て後付けなんですね。障害者の為に特別に障害者用のトイレを作るとか、特別な障害者の為のリフトを付けるとか。後付けで作られると、例えば、普段、健常者の方が怪我をしてもリフトに乗っていると居心地が悪いと感じると思います。 それは障害者の方にとっても同様で、居心地が悪いんですよ。

日本は物理的な環境を整えるということを優先しがちです。一方で、外国では、ユニバーサルデザインが出てきた背景にもなると思うのですが、「そこ居心地が悪いじゃないか・・・」、「特別なものを使用するということは嫌ではないか?」という発想が原点にあるんです。 後付けで特別なものは嫌だから、始めから一緒に出来ることは始めからしようというのがバリアフリーとユニバーサルデザインの考え方の違いなんです。日本はそこがなくて、「いいじゃない、そこに読める本があるんだから」というようになりがちです。その人たちがどのように感じるかまでは思いが及んでいない感じがします。

混ざる時間というのが大事。それは基本という感じですかね。

 

-障害者の方と健常者の方が、一緒に出来ることはどこまでの範囲だと感じていますか?

障害者と健常者は、基本的に何でも分けられてしまいます。 娘が小学校の時に、私が大きなエネルギーを使ってどのような支援をしたかというと、“どのようにしたら一緒に出来るか?”ということでした。 例えば、社会科見学でどこどこの駅にて集合しましょうという話がありました。自分で切符を購入する必要があります。うちの子どもは切符が購入出来ない。でも券売機って盲人の方でも使用出来るようになっていますよね?何日か前に言って何回か練習をして、当日は皆で行って自分も一人で切符を買って、皆と一緒に入る。券売機がしゃべるので友だちも感心していました。

例えば、棒高跳びが怖いなという話になればうちの子どもはゴムだったら飛べるかも・・・という提案をしますよね?そうすると、障害に関係なく、棒が怖い子は全てゴムにしようという流れになりました。 だからやり方一つなんですね。どこまで一緒にやらせたいか周りが思うかということです。支援策はいくらでもあります。どこまでやらせたいか、どこまでそこにエネルギーを使いたいかということだと思います。 そこ面倒だよねという話になれば、棒高跳びの場面では、一人だけぴょんぴょんして終わり・・・私は1時間でも大切にしたい、出来ることはしたいという風に思っていたので、結構、先生と打ち合わせをしながら準備をしました。そうすると意外と目の見えない子どもだけでなく、苦手な集団はそうしようよという話になったりします。

理科の実験は普通、目の見えない子どもは入れない。そうすると他所で聞いているだけになるケースが多いです。でも、目の見えない子どもが使える器具を借りてくることと、先生の声掛けで全員が必ず参加しようと呼び掛けると無理なく参加出来ます。 逆に、「○○ちゃん触りなさい」というようにすると特別な呼びかけになりますので、NGです。自分だけ時間と場所を特別に用意されたり、声掛け一つで彼女の位置が変わっていくんですね。

-一緒にやるという前提があれば、ほぼないということですか?

そうですね、実際に、絵や習字も長縄跳びも出来ましたし、なかったと思います。 物理的なものは整備されています。その為、繰り返しになりますが、どこまでそのほんの数時間を一緒に過ごしたいかになります。流してしまえば終わりです。 (同じことをやる体験を通じて)、結局、そういう子どもがいたよねという事が同級生の頭の片隅にあることは大事だと思います。無力で可哀そうな子どもということではない。その考え方何か違う、だって一緒に何でも同じことをやっていたよという感覚が体で分かっているということが将来どこかで残っていれば、それは彼女がいた意味があったということだと思います。 何でも一緒にやることが当たり前という気持ちがあれば、仮に別の場所で何かをやっていたとしても、なんで違う所でやっているの?という風になっていくと思います。

ユニバーサル絵本はそのような思いのシンボルとして捉えています。そういうことを大人に働きかけても難しいと思いますが、絵本なので子どもに働きかけることが出来ます。これからの子どもに働きかけるのに、ちょっと見方を変えてもらうというのが大事かなと思います。 私の娘の話になりますが、6年間一緒に過ごした子どもの作文で「私は目の見えない人を知りません」というものがありました。 「知らないってずっと一緒だったじゃない」というのが大人の感覚でしたが、その子どもにとっては、意識がそのようになっていない訳です。娘はいたけど、目の見えない子どもなんていたっけ。出来ないこともあるけど、逆に得意なこともあったりして。 学校の方も最初はナーバスだったけど、卒業くらいの時には、娘と過ごしたことは子どもたちにとって財産だねと言って頂けた。一緒に過ごす時間の重さは絶対にあると思います。

でも、大人が環境を作って一緒にいれてあげないと、一緒になりづらい社会になっていますよね。 効率的にその子だけの力を上げていこうとすると、それは隔離した方が効率的だと思います。でもそうすると、他方を知らないし、本人も社会に出た際に健常者のペースや冷たい視線を知らず、お互いにコミュニケーションがとれないかもしれません。 そういう意味で混ざる時間というのが大事。それは基本という感じですかね。

 

より詳しくユニリーフの活動をご覧頂きたい方はこちらから http://unileaf.org/

 

インタビュイー:大下利栄子 ( おおしたりえこ )さん ユニリーフ代表
~分離から共有へ~ユニバーサル絵本ライブラリー UniLeafは、ユニバーサルデザインの理念を推進し、共に生きる社会の実現に貢献することをミッションとして、2008年7月より活動しています。http://unileaf.org/

※このインタビューは、旧チャリティジャパンサイトに2013年11月5日に公開されたものを再掲しています。

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