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2017.01.03.Tue

福島の人々が直面している困難を理解しようとすること

※このインタビューは、2011年11月8日に掲載したものの再掲になります。

 

今なお、復興に向けて大きな課題を抱えている福島。その中で震災以来、南相馬を中心に支援を続けているピースビルダーズの篠田さんに私たちが出来ることをお伺いした。

福島の復興に向けて、いったい何ができるのだろうか。困難な問いである。

必要なことを、数え上げれば、きりがない。通常の災害からの復興に必要な事項も、未解決のまま山積している。しかしもちろん、それだけではない。福島第一原発20キロ圏外においても、津波被害を受けた地域に行けば、瓦礫の撤去はほぼ終了したものの、むしろ広大な荒れ地の光景が広がっており、復興が手つかずになっていることがわかる。もちろん20キロ圏内の警戒区域においては、市街地を含む広大な面積の領域が大震災の被害が残る形のまま、通行止めになっている道路のすぐ向こう側に、放置されたままになっている。

 

しかしこうした目に見える部分以外のところにも、復興の困難は影を落としている。人間の居住地域として最も福島第一原発に近い所に位置する南相馬市では、人が入れない警戒地域があるだけではない。これまでの屋外退避地域や避難準備地域等の設定によって、多くの人々が翻弄されてきた。南相馬市の住民の方々が、通常ではない量の放射線にさらされてきたことは否定できない事実であり、その状況が続くことを大前提にして日常生活を再建していかなければならない。これは人類の歴史においても類例がない課題であろう。

 

過去数カ月で頻繁に、「除染」という言葉を聞くようになった。たとえば南相馬市は、緊急時避難区域(概ね原発20~30キロ圏に対応)の解除にともなう小中学校の再開を準備するために、国に先行する形で「除染」に取り組んできた。この取り組みの重要性に疑いの余地はない。

だが言うまでもなく、「除染」とは、何らかの特効薬のようなもので放射線を消滅させる作業のことを意味するのではない。

ある特定の場所の放射線量を低下させる目的で、その場所にある放射能物質をその場所から最大限に取り除くことが「除染」である。つまり放射能物質自体は消え去ることがなく、単に場所を変えるだけで、どこかに存在し続ける。「中間貯蔵施設をどこに造るか」といった基本的な政策さえ全く見定められていない状況において、「除染」とは、特定の点における放射能物質の量を低下させること以上を意味しない。もちろん「点」の「除染」であっても、絶対に完璧なものではありえない。

 

しかも今回のように、広大な面積が放射能汚染されてしまっているような場合、どの「点」に対して「除染」を行うかということが持つ政策的な意味が非常に大きいことは依然として確かだとしても、「面」の放射能汚染への対応策が講じられているわけではないという極めて基本的な事実は、まず理解しておかなければならない。こうした状況で最も重要になるのは、内部被曝を防ぐことだろう。次に、放射線量の高い場所には、「面」の単位であれ、「ホットスポット」という「点」の単位であれ、近づかないようにしなければならない。そしてもちろん、「除染」が求められる。

 

しかし「除染」とは、数十兆円単位の費用で、数十年単位の期間をかけて、数多くの政治的問題を乗り越えた上で、なお効果は万能とは言えないものだ。端的に言って、「除染」は人々が3・11以前の生活に戻るための処方箋のようなものではない。長期的な視野に立った政策論として非常に大きな重要性を持っているとしても、一人一人の生活者に与える意味を過大評価するわけにはいかない。

残念ながらこうした状況を一人ひとりの生活者の目線で見るならば、復興という大きな問いの前に、まずもって福島で生き続けるのかどうかが、大きな問題になってしまうだろう。

私が活動するピースビルダーズでは、南相馬市/福島県に住み続ける方々への支援と同時に、避難者支援も視野に入れている。広島事務所で福島からの避難者を雇用するなどの措置もとっている。福島の在住者と福島からの避難者の双方を支援しようとしているのは、福島に住み続けるかどうかという厳粛な問題に対して、支援者が判断を押し付けることはできないと考えるからである。逃げるという判断をしたとして、それではどこまで逃げるのか。逃げることによって得られる健康上の利益と、職や住居を失うなどの多大な不利益は、どう比較考量するのか。生活の困難は、やはり子どもたちにのしかかる。これまで苦労をして築いてきた生活を捨てて福島を離れることが絶対に子どもの利益になるかどうかは、わからない。多くの人々が、働き手は福島に残り、子どもは避難させるなどの措置をとっているが、それが家族の幸せに本当につながるのかも、わからない。放射線や危機管理には素人の人々が、判断していかなければならない状況になっている。

 
理想を実現する完璧な答えなどないのが現実だ。こうした葛藤自体が、福島の人たちにのしかかった巨大な負担なのだ。福島の人々にとっての当面の困難とは、原発推進に賛成したり反対したりすることではない。それはいかにして内部被曝を防ぐのかということであり、いかにして(子どもを)避難させた後にも生活を維持し、家族を維持するのか、ということである。そして人口の激減に直面しながら、なおそこでしか生きられないような人々が住み続ける町にあって、いかにして会社を、学校を、病院を、店を、維持していくのか、という問いである。

これまで日本は、世界の紛争地から逃れてきた難民たちを、ほとんど受け入れてこなかった。

不可抗力によって生じた事態に陥った状況で、残るのか、逃げるのか、ぎりぎりの判断をした上で、生活再建のために苦闘する人々の努力を、体感として見てきた経験がない。そのために今回の原発被害の問題にあたっても、どうしても問題を抽象的に捉える傾向があるように思えてならない。しかし一人ひとりの生きる人間たちが、全く不当な形で困難な判断を迫られるという基本的な事実から出発するのでなければ、復興のビジョンを描くこともできないはずなのである。

福島の外に住む人々がまずしなければならないのは、こうした福島の人々が直面している困難を、理解しようとすることだろう。

原発についての立場、避難についての立場は、人それぞれ異なる。個々人がなした判断の中身についても、様々な評価の仕方がありうるだろう。しかし同じ国に住む者として福島の人々を応援する気持ちがあるのであれば、まず行わなければならないのは、困難の性質を理解しようと努力することに他ならない。放射線という苛烈なまでの物理的暴力にさらされ、原子力産業のあり方という戦後日本の「国体」それ自体を問い直すような問題にさらされ、人口も産業も土地さえもが先細りしていくような現実の中で、いったい何が最も強い希望を持って生きていくための道筋なのか。まずは、われわれが最終的な答えを知っているかのように振る舞う態度は、止めてみよう。どこかに答えを知っている超賢人や、あるいは陰謀家がいるといった思い込む態度も、止めてみよう。完璧な答えなどわからない、という大前提の中でも、われわれは生き続けていく。そして、考え、悩み、話し、決断し、努力し、そしてまた考え直していかなければならないのだ。

南相馬市では、「南相馬市復興市民会議」が、7月から開催されている。「南相馬市復興有識者会議」とあわせて、12月に公表予定の「南相馬市復興計画」に反映させる意見を取り込むのが狙いだ。

委員には、地元の諸団体の25名が就任している。南相馬市からは、8月に「復興ビジョン」が出されて、「復興計画」に向けた「基本理念」と「主要施策」が提示されたが、そこに取り込まれた「心ひとつに 世界に誇る 南相馬の再興を」のスローガンは、「復興市民会議」での議論をへて出来上がってきたものである。「心をひとつに」のメッセージからは、多くの市民が離散してしまっただけではなく、もともと合併によってできあがった南相馬市が原発事故によって、警戒区域(居住地に入れない)、計画的避難区域(居住地を変更しなければならない)、緊急時避難準備区域(解除)(学校が再開されていない等の生活上の制約がある)、その他の地域(避難者の受け入れ負担等を抱えている)、等の様々な境遇の区域に分断されてしまった状況を反映した切実性が読み取れる。その一方で、復興に世界的な意味を持たせることによって、自らを奮い立たせようという気概も感じさせる。「基本方針」では、「すべての市民が帰郷し地域の絆で結ばれた町の再生」、「逆境を飛躍に変える創造と活力ある経済復興」、「原子力災害を克服し世界に発信する安全・安心のまちづくり」が打ち出されている。

 
「復興計画」作りに対しては、具体的な施策のレベルに至るまで、「市民復興会議」や「有識者会議」での議論の対象になっているが、さらに公募を通じた多くの市民の声も寄せられた。理念、生活環境、地域経済、都市基盤、原子力対策・防災、教育・子育て環境などの関心分野にそって、多数の意見が表明されている。「除染」についても、国の対策要望を強めることを確認しつつ、「市民でできる放射性物質除染マニュアルの作成」、「民間・市民団体による市内一斉“除染day”を実施」など、市民目線でできることを考案する努力の跡を見つけることができる。広島で活動する私としては、「市民の意見」において、広島の復興とのアナロジーで、福島を世界のモデルにするビジョンが提案されていることは目を引く。たとえ数十年かかるとしても、こうした南相馬の市民の視点・取り組みが、世界の尊敬を集めることを想像するのは、決して難しいことではないはずだ。

原発危機が過ぎ去るまで、福島に真の復興プランは生まれないとも言われた。しかし人々は、福島において、福島の外において、生活を立て直し、生き続けていかなければならない。

福島の人々による、福島の人々の目線に立った、復興の道筋を描く努力を、まずはよく理解し、支援していくこと。そのこと以上に重要なことはない。

篠田 英朗 ( しのだ ひであき )さん
ピースビルダーズ 理事
広島大学 平和科学研究センター 准教授。広島平和構築人材育成センター 事務局長。
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