ようこそ、ソーシャルスタンドへ

「福島県新地町でのボランティア経験」から見つめる”これからのボランティア”


僕がなぜそこにずっといるかと言うと、勿論、放射能の不安は0ではありませんが、そこに今でも住んでいらっしゃる方と比較して被ばく量が増えるということは絶対にありません。でも、そこには僕が支援をしたい方がいる。

 

-福島の新地町では、放射能の話は避けられないと思います。困難な状況に置かれている方も多い。どのように関わっていくのがいいのでしょうか

放射能に対する不安は、情報を把握されている方も、把握されていない方も、それぞれの視点を持っていらっしゃいます。新地町の中でも一緒です。値がそんなに高くないから、なるべく今まで通りの暮らし方で子どもと暮らしたいという方もいらっしゃれば、少しでも値があれば不安だから野菜や水を出来るだけ影響が少ないものを摂らせたいと考える親御さんもいらっしゃいます。

 

ボランティアに関しても同様です。災害支援をやっていた時から、「放射能は一体どうなっているんだ、僕たちが行くのは大丈夫なのか?」という問い合わせを聞かれたりするケースがありました。そこの部分に関しては、責任を持った発言が出来ない部分です。もし被災地に来られるのであれば、来られる方が判断して、自己責任でいらっしゃるしかないんですね。

 

では、僕がなぜそこにずっといるかと言うと、勿論、放射能の不安は0ではありませんが、そこに今でも住んでいらっしゃる方と比較して被ばく量が増えるということは絶対にありません。でも、そこには僕が支援をしたい方がいる。それであれば、不安の部分はちゃんと把握しているけれども、それより自分がやりたいことをやろうと思っています。自分よりも若い子どもたちもいますし、そのような思いを持って、新地町に関わっています。

 

-新地町では、外部の方が出来ることは、話を聞くことが一番ですか、それとも、他に必要とされることはありますか

 
ボランティアの数が減少しているという報道があると思います。勿論、関心を持たれている方が減少しているという側面があるかもしれませんが、その反対方向にしてあるのが、もう少し専門性が高いボランティアが求められている、特定分野に対してボランティアが求められているということです。もし今からボランティアをしたいと思った方がいらっしゃったら、ボランティアセンターや社協などにまずはしっかり問い合わせをすることが大事だと思います。災害の時はとにかく人手が欲しいという状況でしたが、今はデリケートな部分もあります。今は、形がこれというのが言いづらい状況です。地域のイベントに対する人手や仮設住宅での特定の活動ということかもしれません。被災地の市町村によってバラバラだと思います。

 

もう一つ思うことは、ボランティアに拘る必要はないと僕自身は思っています。自分が行ってどれだけの事が出来るのだろうというのは、自分の期待に対する成果を求めてしまうことになり、被災から時間が経過するにつれて難しくなっていくと思います。その代わりに、実際に何が出来るのか分からないけど、行って現場を見てみる、そこで宿に泊って観光するというのだけでも十分な支援だと思います。きっかけがあれば、住民の方のお話を聞くのもいいと思います。そうなるとしたら、漠然と被災地という思いを持っていた方が、それ以降はイメージが湧くと思うんですよ。「あの町、そういえばどうなったかな」って、きっと後からでも振り返ると思うんですね。そこでもし誰かとお話をしていたとしたら、「佐藤さん、今も元気にしているかな?」とか。皆、震災を風化させないと課題のように言っていますが、それは何かというと、もっと個々が具体的に被災地をイメージ出来る提案作り・環境が必要かと思います。

 

よく被災地にバスツアーなどで行くということがあります。中には、「そんな観光気分で行くなんて・・・」という方もいらっしゃいますが、僕はそうではなくて、被災地で何かをするというのが目的だけではなくて、「ここで●●があって、人々がどういう思いをされたのだろう」というのを自分の中でしっかりとしたイメージを持つことが出来るという意味ではいい試みだと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です