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復興のプロが見た被災地の現状と課題

※このインタビューは、2012年3月23日に掲載したものの再掲になります。

 
八戸市役所職員としてキャリアをスタートした慶長さん。東南アジアを巡る交流プログラムでの経験に触発され、かつて抱いていた「途上国に関わる仕事がしたい」という思いを実現すべく、大学院を経て世界銀行に入行。バングラデシュ、パキスタンとブータンの都市開発、インド洋大津波で被害を受けたスリランカの復興支援等のプロジェクトにおいて活躍されて来ました。2011年3月11日、東日本大震災が発生。世界銀行ワシントン本部に勤めていらした慶長さんは、故郷である東北に戻って復興の一助になる方法を模索していたところ、今年の1月、福島大学に震災後に設立された災害復興研究所で福島の復興支援に携わる機会を得て長期休暇を取得。最近まで福島で支援活動をされて来ました。この度、長期休暇の期限を迎えワシントンに戻られる慶長さんですが、この2ヶ月間復興の現場に立って見つめてきた被災地の現状と課題について語っていただきました。
(2012/03/17取材)
 
 

自治体と住民が話し合いながら、それぞれの地域にあった復興を。

 

-都市開発やスリランカでの復興支援をされてきたご経験を拝見すると、今回の東日本大震災において慶長さんがどのような復興ビジョンというものをお持ちになっているか非常に興味を持っています。
-世界銀行での災害復興の経験から今回の震災復興に生かせそうだなと思われた施策や仕組みはございますか?

 
まずは、被災者になるべく早くお金を渡す仕組み(スリランカ津波復興では、民間銀行の資金を使って被災者の口座に住宅再建資金を直接流し、後から公的資金で銀行側に補填するという方法を取りました)。次に、緊急時なので住宅再建という私財に一定の割合で公的資金をいれることですね。そして、独立した第三者機関による復興事業のモニタリング。復興のプロセスを客観的にモニタリングして、評価と軌道修正を復興事業に組み込んでいく仕組みです。
 

-やはり家は優先順位が高い

 
まずは住むところ、その次は仕事という優先順位だと思いますね。緊急時なんですから一部公的資金を使ってでもまずは生活の再建が必要です。ただし、お金の渡し方にも工夫は必要かもしれません。例えば原発事故の補償は働き始めたらもらえなくなると聞きましたが、それでは働くインセンティブはもてない。また、これはスリランカ復興支援の際にも行ったことなのですが、住宅再建にしてもマイルストーン達成による支払いがよいと思っています。例えば土台を築いたら総額の何割、壁ができれば何割、といった具合に。
 
自分でアクションを取って復興に近づくことで、将来への希望が見えてくると思うんですよ。2-5年後こうなっているんだって道筋を早くつけないと。
 

-逆に今回の震災復興の経験から将来の災害復興に生かせそうなことがあればご教示下さい。

 
自治体同士の助け合いですね。例えば、楢葉町と会津美里町は両方福島県内ではあるんですが、地理的には離れていて、「両方同時に被災することはないだろう」ってことで、災害支援協定を震災前に結んでいました。そして今回楢葉町は大半が警戒区域に指定されたのですが、町民は会津美里町が運営している避難所に避難しました。
 
自治体間の災害支援協定を災害前から作っていくことによっていざというときの迅速な支援が可能になることがわかりました。
 

-先に、住民、自治体が復興のイニシアチブを握ることが望ましいというお話がありましたが、現状の復興体制をどのように見られますか?

 
国がメニューをつくって、自治体がそれに沿って案をつくって、復興庁が査定するというフォーマットはあるけれど、誰も主導していないような感じがしています。政府は確かに復興予算をつくって配分しようとしていて、それが遅かったという話はさておき、政府が主導しているでもない。かといって、自治体も国の顔色をみながらやっている。
 
それで復興が遅れて被災者が困ってるという印象を受けています。
 
国と地方の役割分担は大事ですが、もう少し大胆に「自治体おまえらやれ」っていうメッセージ、権限、予算を国が自治体に与えるべきではないかと思います。住民だったり、自治体にお金を流して「自由に使っていいよ」っていう形にしてもいいと思うのです。
 
 

復興のためには自治体と住民との意思疎通のファシリテーションがもっと必要。

 

-復興がその復興体制ゆえに遅れてしまっているというニュアンスを感じますが、これまでの災害復興と比較して、この1年での復興状況をどのように評価しますか?

 
例えば、私が携わったスリランカの津波災害からの復興では、被害を受けた住宅10万戸のうち、世界銀行は5万戸の再建に関わったんですが、場所によっては2年くらいでほとんど再建が終わったようなところもあるんです。ただし、スリランカにおける再建は移転のない、壊れた建物をその場で再建する方式でした。東北では高台移転や内陸移転ということを考えている自治体も多いので単純な比較はできません。その場で再建するのであれば、確かに早く復興しますが、次に津波が来たとき同じリスクが残ってしまう。 内陸移転や高台移転のほうが当然時間がかかる話ではあるのですが、リスクは少なくなる。
 
どちらの方式も一長一短があるので、一概にスリランカと比べられない。
 
一方、スリランカとの比較はできないものの、自治体それぞれが考えている復興の姿にどれだけ近づけているかという物差しはあると思いますが、こういった情報が殆ど見えてこないと感じています。例えば、○○県○○市ではこういう姿の復興を目指していて、住民との話し合いはここまで進んでいる、という情報を復興庁あたりに纏めて発信してほしいと思うんです。
 
今入ってくる情報は、東北全体で復興が遅れている、住民との話し合いが進んでいないというかなり大雑把なもので、個別の地区で見た場合、もっと細かく事情が違うはずなんですよね。そういうのが分かれば、プロセスが遅れているところに入って支援しましょうとか効率よくできる。それに、そういう情報発信があればコミュニティー同士で学び合い、「あ、釜石のここの地区はこうやってここまで進んでいるんだ、うちの地域でこういうの応用できないかな」というような発想が生まれる。
 
どこかでそういうきめ細かい情報発信ができないかなって思っています。 

-細かいレベルでの情報が足りないもしくは開示がないために、復興の進捗状況を評価できないということですが、福島大学を拠点に活動されてきた中で感じたことはございますか?

 
先ほど申し上げた、住民・自治体が主導する町づくりや復興を行うためには、住民と自治体の意思疎通が必要不可欠なのですが、福島では放射能汚染で将来の方向性が見えないこともあって、そういうところがかなり遅れていると感じました。
 
特に小さな被災自治体においては、そういうことを実行するキャパシティーが足りておらず、自治体に対する支援もやっていかなければと思います。
 
NPOやNGOの活動も、例えば被災者への生活支援だとか、子供を保養させようとか元気付けようといった支援はあって、それはそれで本当に必要だし効果が出ていると思いますが、復興に向けた街づくりという面においては支援が足りないと感じました。そういうスキルをもった団体が少ないということなのかも知れませんが、自治体と住民との意思疎通のファシリテーションがもっと必要ではないかと思います。
 
その話し合いのファシリテーションを手助けできるのがまちづくりや災害復興の専門家で、本当はそういうお手伝いをしようと福島に来たんですが、タイミングの問題や私自身の未熟さもあって、思うような支援はできなかったというのが正直なところです。除染の効果などまだ先の見えにくい福島の被災地ですが、様々な調査を見ると、多くの市町村で移住希望者と帰還希望者が一定の割合ずつ別れています。双方への支援が必要ですが、なるべくコミュニティを維持できるような形を見出すべく、そういう被災者との話し合いをコミュニティごとに早急に始める必要があると思っています。これから被災地を離れ、ワシントンに戻ることになりますが、今回の経験で分かったこと、考えたことを纏めて提言できればと思っています。 
 

関心を持ち続けること。考え続けること。

 

-最後に、私たちが復興のためにできること、すべきことについて一言お願い致します。

まずは被災地に関心を持ち続けて欲しいということです。
 
その上で、個人によってできることは違うので、自分が持っているスキル、リソース、ネットワークを使って何ができるのかを考え続けることが大事だと思います。
 
 

インタビュイー
 
慶長 寿彰( けいちょう としあき )さん 
世界銀行・シニア都市環境スペシャリスト 
現在、ヨーロッパ・中央アジア地域サステイナブル・ディベロップメント環境セクター所属。青森県八戸市生まれ。1986年東京大学工学部都市工学科卒。東京大学工学部修士課程を経て1988年八戸市庁入庁。1992年八戸市庁を辞職し、オクラホマ大学大学院に就学(公共政策・行政経営学修士を取得)。1994年、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)により世界銀行入行。バングラデシュとパキスタンの都市開発、地方自治体の強化・育成、水道インフラ整備などに従事。2001年6月から1年間豪州ブリスベン市庁都市経営局に出向し、市の持続可能な都市経営戦略を担当。2002年6月に世銀に復帰後は、ブータンの都市開発と地方自治改革、スリランカのコミュニティ主導型インフラ開発、津波復興、紛争地復興、モルディブとインド側カシミールの災害被害算定、アフガニスタンの農村部水道整備、南アフリカ・バッファロー市の都市インフラ投資計画などに従事。、2004年12月にはインド洋大津波の直後からモルディブとスリランカに入り、世銀のスリランカ津波復興支援の三つのオペレーションのチームリーダーを2010年まで務め、スリランカ駐在。2011年4月より現職で、ロシアとカザフスタンの環境改善を担当。現在ワシントン本部に勤務。今年一月より世銀から休暇を取得して福島大学・災害復興研究所で福島復興の支援に携わり、この度休暇の期限を以ってワシントンに戻られる予定。

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