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サッカー出来る環境を増やせば増やすほど、世界は平和になる

世界中にサッカーボールを届ける「アルムンドパスプロジェクト」をご存知ですか。これまでにフィリピン・セブやウルグアイ、ベトナムにサッカーボールを届けてきました。

今回、このプロジェクトを立ち上げて進めている三吉聖王さんと井口友希さんに、活動の原点や抱かれている想いについてじっくりと伺いました。 

想像と違ったセブの状況。

-どのような活動をされているのですか?

 

三吉 簡単に言うと、サッカーボールを海外に届ける活動をしながら、サッカーが出来ない場所を無くそうとしています。

おかげで何ヵ国、何ヶ所か届けているなかで、各国にある、それぞれの課題を見つけられました。

僕たちの出会いもサッカーなので、サッカーにどのように恩返しできるかを考えていきたいと思っています。

 

-二人の出会いについてもう少し教えてください。

 

井口 2010年です。僕はサッカーボールを持って世界一周をしていました。

その時の三吉は、ウルグアイでプロ選手としてサッカーしていました。

ブエノスアイレスに到着したとき、たまたま三吉に出会って、フットサルをやることになったのが始まりです。

その後、僕が帰国してからパキスタンを支援するNGOを立ち上げる経緯を見てくれていました。

ちょうど三吉がJリーガーとして日本に戻ってきたタイミングで、facebook上でメッセージをやりとりする機会があったんですが、「サッカー選手を辞めたあとは、サッカーボールを持ちながら、世界中の人たちとサッカーを通じて交流をしたい」という想いを三吉から聞いたのを覚えています。

 

-活動を始めたきっかけは何だったんですか?

 

井口 その後、三吉は再びウルグアイのチームに移籍したんですが、そこで大きな怪我をしました。

でも、三吉は怪我をマイナスに捉えずに、引退後にやろうと思っていた、サッカーを届ける活動をやってみようと考えたんです。

それがきっかけで、また連絡を取り始めたんです。

そして、一昨年の夏、三吉が日本に戻ってきたタイミングです。

サッカーを通じてどんな世界を作っていきたいかとか、どんなことを伝えていきたいかとか、サッカーボールを届けるところがないかどうかとか様々な話をしました。

話し合いの結果、まずは、僕が知っているフィリピンに、三吉が行くことになったのです。

 

-フィリピンに行ってみてどうでしたか?

 

三吉 初めてフィリピンに行った時は、現役サッカー選手で、僕は夢を与えるのが役割だと思っていました。

セブ島はリゾートというイメージがありますが、セブシティにはスモーキーマウンテン(スラム街)があって貧しい子どたちが沢山いました。だから恵まれていない子どもとサッカーをするというイメージでした。

でも、行ってみるとサッカーどころではなかったんです。

子どもたちはゴミ山の中で暮らしている。
時間があれば、ゴミ山からオモチャを探す。Tシャツ一枚でパンツも履いてない。

サッカーよりもっと必要なものがあるなと、衝撃を受けました。

だからサッカーなんて場違いなのではと思っていました。

でも僕らがサッカーをしようとすると、目もうつろでゴミ山に入っていった子供達が笑顔になったんです。

一緒にサッカーすると子供たちも僕たちもいつのまにか笑顔になっていたんです。

実はフィリピンではサッカーが盛んではありません。

サッカーボールを持っていったのにバスケットをしたいと言われました・・・。

僕らをアテンドしてくれた方はサッカーをしなさいと子供たちに言ってくれましたが、バスケでもいいんじゃない?と伝えました。

このボールを使ってくれて、バスケをやるでもいい。怪我の恐れもあるゴミ山でオモチャを探すのではなく、(サッカーボールが)ひとつのきっかけになってくれればいいなと、思うようになりました。

とにかく、思っていた理想とは違う世界でした。

「ちょっと違った。俺に何が出来るんだろう。」と井口に相談しました。

30を超えて、この現状を知ったことは一つの経験として重要だったと思っています。

 

セブはゴミの消費が追いついておらず、ゴミ処理施設の稼働率が20%程度です。

残りの80%は貯まるしかない状態で、

まだ使えるゴミがある場所に現地の人たちが集まるという構造が生まれています。

そういった部分も、サッカーボールを持っていくという行動を通じて自分が知って、更に、それがきっかけで自分の周りの色々な人に知ってもらえたらいいなと思っています。

 

-なるほど。その時、井口さんは?

 

井口 三吉に「セブでサッカーボールを届けよう」と伝えたら、リゾート地で遊ぶイメージをされたら困ると言われました(笑)。

 

でも、裏側にこんな場所があるんだということを体感するのはいいんじゃないと伝えました。

行っている最中は、まさに悩みながらだったと思います。

 

-ボールを渡したとき、子供たちはどんな反応をしますか?


三吉
 初めはキョトンとしています。

でも僕がリフティングしたり、ボールを蹴ってみたり、ボールを高く上げてみたりして、使い方をビジュアルで見せるとボールに触れたがるようになります。

一緒に走ってボールに触らせないようにすると、ボールを取りに来るようになります。

手で取ろうとする子供もいますが、手はダメ!それがサッカーだよと、伝えますね。

そんな風に見せてあげることで自然と興味が生まれるんです。

しばらくするとボールを蹴ることがストレス発散にもなるのか、

自然とグループを組んでやりだします。

 

-サッカーボールを届ける活動に対して周りの反応は?

 

三吉 活動を知ってもらって、今まで他人事だったことに対して行動してくれる人が増えています。

試合の対戦相手だった人が「これ持って行ってよ」「何か出来ることない?」「それ持って行ってくれないかな?」とか言ってくれるようになりました。

サッカーは気づかせてくれるツール、繋がれるツール。

井口 この活動を通じて、僕たちの周りの人たちがフィリピンやセブなどの華やかなリゾート地の裏にも問題があるという現実を知り、自分たちにも何か出来ることがないかという気づきが生まれたと思っています。

僕もサッカー仲間に「何か出来ることはないか?」とよく聞かれます。

サッカーは気づかせてくれるツール、繋がれるツールだったんだと感じることが多かったです。

-ボールを届けたいという想いの原点はありますか?

三吉 セブに行く前です。

ウルグアイの自分のチームに、一度サッカーボールを届けたことがあります。

チームが経営難になって、サッカーボールがないという状況でした。

日本の高校に寄付してもらい、サッカーボールを持って行きました。

それでも、10人につき1つのボールしかないという状況で、練習効果も上がらない。

一人のサッカーファンとして勿体ないなと感じていました。

ウルグアイ代表は強いのに、この環境ではもうスター選手が出てこないかもしれないなと。

その当時、私がいたのはブラジル国境沿いのクラブで、プロですらサッカーボールが不足しているひどい生活状況で、サッカーボールがなくて練習できない子ども達がたくさんいました。

彼がサッカー選手として育つのを見たかった。

三吉 ユースチームの支援にも関わっていましたが、すごくうまい子が急にいなくなってしまったことがありました。

家の仕事の手伝いをしなければいけないからというのが理由でした。

ある時、バスの中でその少年がパンを売っているのを見かけましたが、あの子がサッカー選手として育つのが見たかったです。

子供が働かないと生活ができない。

そんな環境があるということを知ってもらって、何が出来るかを考える、考えてもらうことが必要だと感じました。

これが僕の原点です。

サッカーをしたいけど、サッカーを習う場所がないベトナム。

- いまベトナムで無料サッカースクールを立ち上げられるとお伺いしています。きっかけを教えてください。

三吉 去年の9月、ベトナムに関係する企業の方が僕らの活動に興味を持ってくれたんです。

ベトナムのチャビン省というホーチミンから約4時間くらいの場所に来て、子ども達と触れ合って欲しいと、その方から要望を頂きました。

それで、井口と一緒に行って、2つの小学校を訪ねました。

ベトナムに到着すると空港のテレビでサッカーが流れているし、小学校に行ってみると子供たちがサッカーを楽しみに、僕らを待ってくれていました。

ルール説明も必要もなく、デモンストレーションを見せ、皆でボールを蹴っていました。

学校の校庭で触れ合って、泥だらけになりながらサッカーをやると、将来、サッカー選手になりたいという子供たちが何人もいました。

でも、みんな裸足でやっていて、グラウンドは学校の校庭しかない。

それ以外は、田んぼと道なんです。

こんなにサッカー熱があるけど、サッカーボールも靴もない、指導者もいないという状況でした。

サッカーは皆が知っている、でも、やったことがない。

ボールも環境も無い中で、どうやってサッカー選手になるんだろうと思いました。

- なぜ無料サッカースクールにするんですか?

三吉 例えばウルグアイではサッカーが上手い子供はいるけど、ボールが無い。フィリピンではサッカーを知らない、ものもない。ベトナムはサッカーをしたいけど、サッカーを習う場所がない。各国に違う状況があります。

ベトナムでは、サッカーを少しかじった経験がある現地の体育の先生とのやりとりの中で、子供たちにサッカーを教えたいという話になり、地域の無料サッカースクールを立ち上げる計画がスタートしました。

指導者の指導というのをウェブや動画を通じてやり、サッカーする環境は校庭を使えばできます。

ホーチミンにもサッカーが出来る場所がありますが、絶対数が不足しています。

地方では、「田んぼ」ばっかりなので、ボールが外に行ったら落ちてしまう。

ベトナム全体で見た時に、サッカー熱に対して環境が追い付いていないんです。

生まれた場所や環境でサッカーが出来るかどうかが左右されてしまうのは勿体ないなと思います。

そしてこういった活動は、最終的に、日本にもいい影響を与えるのかなとも思います。

ベトナムのフリーサッカースクールを通じて、

ベトナム代表になったり、Jリーグにチャレンジしてくれたりする選手が出てくるのが理想です。

サッカーできる地域を増やせば、世界は平和になるのではないか


-サッカーの社会的意義をどのように捉えていますか?

三吉 八王子でサッカースクールも運営しているのですが、親御さんに評価されている部分はサッカー以外です。

僕もサッカーをやってきて色々な人を見てきましたが、Jリーグでも海外のリーグでもそうですが、大成している方はとてもいい人間です。

善人という意味ではなくて、何かをしなければいけない時、本当に何をすればいいのかを考えて選べる人間なんです。

そういう人はみな挨拶など、人として当たり前のことがしっかり出来ています。

僕もサッカー選手として、そのような人たちを見習って学んできました。

僕自身が、生き抜くために色々考えてきたことも影響していると思います。

大学卒業の段階で、プロにはなれなかった。エリートとしてサッカー選手になった訳ではないので…。

どうしても納得いかなかったので、アルゼンチンでサッカーを再スタートしました。

南米だと日本人は下手だと思われているので、その中で生き抜くために何が必要で何をしたら自分をどうアピールできるか、自分で考えるようになりました。

そのように、人との付き合い方や言語が違う環境でステップアップする方法を学びました。

この経験からサッカースクールでは、サッカー以外のことも細かく言うようにしています。

その際には、ただこうしなさい、というのではなくて理由を伝えます。

なぜ挨拶が大切なのかは、親御さんは教えなかったりします。

なぜ道具を大切にするかもそうですね。

僕にとって、大事なことに気づかせてくれたのがサッカーだったんです。

ただサッカーの技術を学ぶだけではなくて、人生の生き方や人間性を決めたのもサッカーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカーは自分で埋める教科書だ。

 

サッカーは僕にとって教科書であり、自分で埋めていく教科書です。

それを伝えていきながら、いろいろな人や子どもと触れ合いながら、今もその教科書を埋めているのだと思います。

井口  僕にとっては、サッカーが与えてくれることはつながり、友達です。サッカーは、世界中どこでもやっている、すごく友達を作りやすい。文化も言葉違う人たちと一緒にサッカーをすると共感し、相手の文化や価値観に興味がわく。

災害があった国に対して、対岸の火事というよりは、一緒にサッカーをやったあの子が・・・・というように感じることがあるんだと思っています。

他の国の人たちと共感する力になるのではないかと。僕にとっては、一番最初に自分事に出来るもの、寄り添えるものだと思っています。

たまたま、思い入れがなくてもその国に協力したら、サッカー以外も気にしてくれたりします。

サッカーとは違いますけど、僕を応援してくれた人が、パキスタンを見ると気になる。

サッカーがあれば、世界中に繋がっていけるということだと思います。

一人一人に役割がある。

また、サッカーは11人必要で、それぞれポジションがあり、一人一人役割があるのも魅力です。

ガットゥーゾという選手を知っていますか?

非常にテクニックがあるピルロと一緒にプレイしています。

ガットゥーゾが言っていたのは、テクニックが無くて、ゴールを与えるなどの派手なことはできなくても、叫ぶんだり走ったり、自分にしか与えられない感動があるんだと。

下手くそだけど、自分にしかできないこと、自分だから出来ることがある。

そのように自己肯定が出来る。自分がこの道で進むんだ。個性を出していいんだと。

また、チームが支え合って短所を補いながら長所を活かすようにプレーしているので、ミスを相手や誰か1人のせいにして責めるのではなく全体の責任を、自分事として捉えられるようになると感じています。

1960年代、ペレのプレーを見るために、内戦状態にあったコンゴとナイジェリアでは、内戦の休戦提携をしたという逸話があります。

サッカーには不思議な力があります。
ー 不思議なチカラとは?

井口  憎しみあっていたのに、サッカーを見たいという気持ちが忘れさせてしまうチカラです。

サッカーを楽しんだ人間同士は、赤の他人からちょっと知った人間になって、殺せなくなるのではないかと思っています。

国の方針があっても、手を取り合いたくなるのではないでしょうか。

世界にはサッカーが出来ない場所がまだ沢山あります。

ボールとグラウンド。

それが揃った地域を増やせば増やすほど、世界が平和になるのではないかと思っています。

-今後の展開はどのように考えてらっしゃいますか?

井口 僕にとって、パキスタンが活動のルーツであり、一番最初にきっかけをくれた場所です。

当時、僕は地雷の撤去活動をやっていました。
一番平和な環境は、サッカーが出来る場所だと思っています。

ただ、それが地雷があるせいで、一気に変わってしまう。永続的に人を苦しめるのは、地雷ならではのもの。戦争が終わって、まだサッカーが出来ない、怪我をしてしまう人が後を絶たない。

パキスタンはサッカー熱がまだまだですが、カシミールのあたりは、サッカー熱が出てきています。

ただ、カシミールには子どもたちが通える学校がありません。

サッカーが出来る学校が出来るといいなと思います。カシミールの知り合いから「いつ来るのか?今こんな風に盛り上がっているよ。楽しみにして待っているから。」と連絡を受けていて、行ける日を楽しみにしています。

ベトナムでサッカースクールが出来たら、さらに他の場所でもサッカースクールを作っていきたいと思っています。

アフリカの知り合いからも「うちの国にも来てくれ」と言ってくれています。

アフリカの人々は、身体能力が高いです。

服をまるめたボールでサッカーをしているような現状を変え、環境を整えたらどんな選手が生まれてくるのか、どんなプレーが見れるのか、わくわくがあります。

三吉 僕も同じように、無料のサッカースクールを世界中で立ち上げたいと思っています。

多くのサッカー選手は子供の頃から環境が整っていて、選ばれた人間であることは否めません。

でも、無料サッカースクールがあれば、可能性を持った子供たちがもっと参加でき、底上げにもなる。

一人のサッカーファンとして、僕らが関わった選手がワールドカップに出て「あの子も、あの子も」と言いながら見たい。色々な地域でサッカースクールが出来たら交流もしたいですね。

昔対戦したことのある子供たちがワールドカップで対戦する状況も生まれるかもしれません。

色々な地域ごとにサッカー事情やそれぞれ抱えている問題も違います。

これからも、その地域では何がベストなのかを考えながら広げていきたいと思っています。


三吉 聖王(みよし・きよたか)
現役プロサッカー選手。1985年生まれ。大学卒業後、アルゼンチンに渡り、元アルゼンチン代表のベロンなどと共にプレー。その後ウルグアイに移籍し、2012年に清水エスパルスに移籍。ウルグアイ時代に財政難のユースチームに日本で使わなくなったボールを寄付。それまでパンクしたボールを使っていた子どもたちが、使い古しでも空気の入ったボールに触れて喜ぶ笑顔に触れ「サッカーボール1つ」の偉大さを実感する。ボールがなくてサッカーができない場所をなくすべく世界中にボールを届ける。所属クラブの経歴は、アルヘンティーノス・ロサリオ(アルゼンチン)→ ボストン・リーベル(ウルグアイ)→清水エスパルス → ボストン・リーベル (ウルグアイ)→ ロチャ FC (ウルグアイ)。

井口 友希(いぐち・ゆうき)
1983 年生まれ。NPO 法人SOLUNARCHE代表理事。 一般社団法人日本青年伝統文化協会理事。印パ紛争跡地での地雷撤去支援をきっかけに国内外の国際NGOスタッフとして活動後、パキスタンにて学校運営、職業訓練を行うNPO法人SOLUNARCHEを設立。パキスタン国内で10校、約7000人の子どもと女性に教育の機会をもたらす。2010年、南米大陸を中心にサッカーボールをもち世界一周をした経験から、サッカーがもつ国境や宗教、言語や人種をこえた人を幸せにするチカラを実感。帰国後、サッカーへの恩返しとして、世界中へボールを届ける活動をはじめた。

アルムンドパスプロジェクトの活動を聞ける機会として、2019年1月19日にイベントを開催いたします。ご関心がある方は、是非、お越しくださいませ。

 

【1/19開催】ソーシャルスタンド #47 サッカーを通じてミャンマーを知る&考える

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