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「対等って何だろう?」聴者と聴覚障害者が対等な社会を創造する、シュアール大木洵人さんインタビュー

7人のスーパースターをつくる

 

ちょっと話変わるんですが、うちはKPIを持っていて。

7人のスーパースターを輩出することです。

よく「手話の啓蒙活動どうしているんですか?」と聞かれるんですが、それに対して私たちは「聴覚障害者のお尻を叩きます」と答えます(笑)。

結局、普通のひとに「聴こえない人大変なんですよ」って言ってもすぐ忘れちゃうんですよ。
でも、自分の上司とか社長が聴こえなかったら影響受けますよね。「うちの社長聴こえないんだよね。ちょっと手話覚えなきゃな」となるわけじゃないですか。自分の大好きなアイドルが手話やってたら習いたくなりますよね。次の選挙は聞こえない判事がいるから、覚えておかなきゃと思う弁護士の先生とかもいるでしょうし・・・・

政治家が聴こえなかったら、選挙区の人に影響あるわけじゃないですか。
実際いるんですよ、ハンガリーから選出されているEU議会議員で聞こえない方がいます。当然EUに持っていくアジェンダは彼を通さなきゃいけないので、官僚も多少手話できたほうが、心象よくなるかなとかいろいろ考えますよね。(笑)すごいことじゃないですか。
その人に交渉しなければいけないひとは、ある程度手話をする必要を感じると思います。

聴こえない人だけでなく、聞こえる人に対しても影響力を与える人を7人のスーパースターを産みたいんです。聴こえない人だけに影響力あるんじゃ意味ないんですよ。
そうしたらまわりのひとは、手話を学ぶ必要が出ると思うんです。

その点すごく共感するところがあるのですが、障害者差別解消法があるので平等に扱いましょうっていう文脈がありますけど、薄っぺらいなと思っていて。それって例えば日本人が昔、南アフリカで名誉白人と言われて喜んでいたみたいに、健常者から(南アフリカのケースだと白人からの)上から目線を感じるし。それだとじゃあ法律変わったらしなくていいとなっちゃいますので、それに甘えちゃいけないなと。「手話はハンデで慈悲の対象」、ではなく、「手話には価値があって社会的に積極的な役割がある」ってことを積極的に発信しなきゃいけないのではないかと思っています。それが先ほどの言葉でいうとお尻を叩くということなのかもしれませんが、聴覚障害コミュニティのほうに甘えはあったりするんですか?

確かにあります。

先ほどの例以外にも、対等ではないことによって聴覚障害者は不利益を実際被っていると思います。それは聞こえている方のミス、問題だと思っていて、私は聴こえる側の代表として、それは申し訳ないと思っています。

ただ、「ギャップを埋めるサービスをシュアールがつくるので、これを使って対等に戦えるようにする、その上で負けたらそれはあなたが悪いんだから、次は自分が頑張って勉強するなりして聴者を相手に勝てるように、胸を張れるようにしようね」、と言わないといけなくて、聞こえないのを逃げにしてしまうのはいけないと思っているんですよね。

今は聴覚障害の方が逃げざるを得ない環境は確かにあるので、そこは我々が変えていくと。で、変えた部分についてはもう対等なんだから頑張ってねということです。

例えば、親しくさせていただいている乙武さんとで100m走の勝負をして、身体上の戦いで勝って馬鹿にするのは差別ですよね。だってこれは身体上できない戦いを設定して勝って馬鹿にしてるんですから。ひどすぎますよね。でも暗記や神経衰弱で戦った場合は、同じ土俵で戦っているので乙武さんを馬鹿にしてもいいわけですよ。

でも今の世の中では、障害があるってだけで何にもできなくてOKみたいな感覚になってしまうケースがあります。健常者と障害者が対等な場合ですら、仕方がないよねといって、お互いに甘える、甘やかす構造があるわけですよ。

聴覚障害だからって甘えて欲しくなくって。うちのサービスを使って聴こえる人を打ち負かしていく。そういって、聴覚障害の方のお尻をたたいています。笑

武器はつくる。あくまで戦って勝て。

先ほどの問いの中で、聴覚障害だからこそ出る価値というのを主張しないといけないのではないか?という点についてはどうですか?今事業化できてなくても、何かそういう切り口になりそうなものは見えていますか?

聞こえない人の特性を積極的に活かす道はあるかと思います。

例えば、ハリウッドスターには聞こえないコーチがつくらしいです。言葉の情報がないなかで、うれし泣きなのか悲しくて泣いているのかをそのコーチが判断できなければ、演技力がないということになるんですよね。これは聴こえない人がそういった感情表現がうまい、得意ってことを活かしているんだと思いますしチャンスはあるんだなと思います。

ただ、一般的には聴こえないっていうだけで、固有の価値を発揮するというのは難しいと思っているんですよ。例えば眼鏡の人たちだけで集まって何か価値があるかというと、ないと思うんですよね。
そういうアプローチよりは、マジョリティの人の圧力に対して力をつけて勝っていくというほうが大事だと思います。

それこそプログラマーとか、手話で要綱だけ伝えれば、要件定義の会議だけ手話通訳サービスを使ってもらえれば同じ土俵で戦える。手話通訳サービスの費用、例えば2万円かかるんだとしても、それを上回る価値をその人が出せればいい。確かに、同じ能力の聴こえるひとと比べればその費用分不利ですが、その分くらいは頑張りましょうということは伝えたい。

聴こえないってことだけのマイナスだけ見てもしょうがないと思うんですよね。

例えばイケメンで生まれたら、有利ですが、それだけで勝てるわけじゃないですよね。(笑)。
聴覚以外にも様々な勝負ポイントがあると考える方が自然だし、他の可能性も注目すべきだと思います。

ちょっとしつこいんですが、聴こえないという価値を、多様性の価値という観点で評価することについてはどう思いますか?

もちろんみんなが使いやすいデザインに多様性は役立つし、いろんなサービスとかが出やすいとは思います。

ただ、どっちかというとうまくマイナスをプラスに活かすという方がしっくりきますね。

例えば、同じオフィスのなかで、いま、コールセンターと作業場が一緒になっています。
一般的にはコールセンターでは個人情報が飛び交うので、リスクヘッジのために完全に部屋を分けたいのですが、作業場で働いているのが聴こえない人たちなので、シンプルなパーティションを設置するだけで通訳内容が漏れるリスクがなくなる。細かい話ですけど結果的に小さいオフィスでコストを節約できているんですよね。

個性のひとつっていうと、少し響きが薄っぺらいですが、事実だなと思っています。

だからあまり聴覚障害だからとかあまり意識しないんですよ。

僕もアメリカに留学した際に、日本人は完全にマイノリティで、僕の学校もアジア人含めても3人。そんなものしかいないわけですよ。ほとんど黒人と白人みたいな。でも普通に生きていけましたしね。
やっぱり多言語社会、多様性がある社会にいることは、手話を需要する素地ではあると思います。

日本やアジアで手話の価値が低くて、北米や欧州のほうが高くみられているんですよね。
なぜかって簡単で、日本が日本語をしゃべれない人がほぼいない。単一民族、単一言語の国家と思われているからです。単一言語っていうのも間違いで、手話も古来からある言語なのですがあまりにも少ないから意識していないんですよね。

例えば
ニュージーランドでは、英語公用語ですけれども、マオリ語話すひともたくさんいるので第二公用語になってます。その延長線上に手話もあって、ニュージーランド手話が第三公用語になったんです。やっぱりそれって第二公用語にマオリ語があったからだと思うんですよね。

99.9%が日本語の世界(日本)では第二公用語の概念も発達しづらくて、0.1%の手話言語には目を向けないですよね。アメリカにもスペイン語があって、カナダにもケベックでフランス語しゃべるひともいて、そもそもある程度多様な言語社会で構成されている社会は、手話の捉え方が全然違うと思うんですよね。

固まりとして小さいから不利益があるのであれば、極端にいえば聴覚障害者の国とかできたらいいんですかね?

あまり続きがない議論だと思っています。

生きる世界を分けてしまうのは、単なる収容施設になってしまうので。

聴こえない人が過ごしやすい、居心地がいい環境があってもいいと思います。それに今の世の中だと、人口のポーション的に少ししかいないからその分の支援しかできないのは仕方がないかもしれない。

でも、そういうひとが世の中にまんべんなくいて、お互いが一緒に生きていく工夫をするほうが大事だと思います。例えば車いすに乗っているからと言って排除するんじゃなくて、困ってたら運んであげるような社会のほうがいいなと思っています。

世界を分けてしまうのは思考停止。お互い知恵を出し合って一緒に生きていく世界のほうが素敵だよね、という考え方ですよね。

テクノロジーと手話のブリッジになる

Tech for the Deafをうたってらっしゃいます。テクノロジーはいろいろな可能性を開くんだと思うんですけれどその行きつく先についてイメージございますか?

テクノロジーって色々なものを超えると思うんですよね。

手話という言語のメディア的な価値というのは、テレビというテクノロジーでは、人口見合いで0.3%しかリソースを割けなかったですよね。それは電波や時間というリソースが限られたものだったので、ゼロサムのゲームだったからです。

それが今ではインターネットの登場で無尽蔵のデータと時間の領域ができた。
無限なので、人口的に0.3%を対象にしたとしても、それは掛け算しても無限ですよね。
テクノロジーが進化していくことと、それをきちんと使い切ることでほぼ無限の可能性が広がると思っているんですよね。

うちは手話の専門集団でテクノロジーを開発する会社ではありません。それを活かす会社です。既存の技術の手話化が価値です。

例えば、遠隔通訳ってSkypeとかFaceTimeなどを使いますが、うちはテクノロジーという意味では何も新しいもの生んでないんですよ。手話TVだってYouTubeに上げているだけ。だから、よく言うんですけど、うちは既存の技術を手話化しているだけだと。手話のノウハウをテクノロジー側に提供していくんです。

今の手話専門家はそこが抜けちゃっているんですよね。テクノロジーが合流できないんですよね。だからうちは、テクノロジーと手話をつなぐブリッジにはなれると思っています。

ありがとうございました。

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