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希望を生み出すこと、無力だと勘違いしないこと ~SUGIZOさん×佐藤慧さんトークイベント・レポート~

ソーシャルスタンド編集部では、6/22に開催された国連UNHCR協会が主催したSUGIZOさん×佐藤慧さんトークイベント(司会:武村さん)に参加させて頂きました。イベントは、ヨルダンの難民キャンプを訪れたSUGIZOさん・佐藤さん・武村さんのやりとりで進行されていきました。

 

※主催者によるイベントの記事は以下になります。
SUGIZOさん×佐藤慧さんトークイベント・レポート
http://www.japanforunhcr.org/archives/talkevent160622

 

※ヨルダンを訪れた様子を武村さんにお伺いしたインタビュー記事は以下になります。
希望を生み出す支援  国連UNHCR協会広報委員:武村貴世子さん
http://charity-japan.com/column/1558

 

こちらのレポートでは、チャリツモ編集部スタッフが印象的だったことを抜粋して紹介させて頂きます。

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アズラック難民キャンプでのご家庭訪問での出来事を受けて
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(アズラック難民キャンプでは、SUGIZOさん・佐藤さん・武村さんがムハンマドさんさんという方のお宅を訪問します。その際、ムハンマドさんさんのウードと、SUGIZOさんのヴァイオリンの演奏で即興のセッションが生まれました。その話を受けてのトーク内容になります。)

本当に言葉一言も交わさないうちにどんどん二人が笑顔になっていく様子を見て、音楽ってこんなことができるんだ、特に弦楽器って国境を越えて同じような旋律をなぞることができるので。(何でも合わせてくるSUGIZOさんとセッションをしていて)相当彼はびっくりしていました。(佐藤さん)

 

いわゆるセレブの方々や政治家の方々が訪問をしましたという話を聞くのですが、一番最初に、SUGIZOさんからこのお話をお伺いした時に、僕が素晴らしいと思ったのは、「僕はミュージシャンというのを隠していきたい。一人の人間として行くのだから、僕が表敬訪問をするとかそういうことではなくて、ただ単に一人の人間として感じたいんだ。」と聞いたことでした。その中で、向こうの要望として、もし音楽ができるのであれば、喜ぶ人がいるよということを聞いて、急遽現地でもヴァイオリンを調達し、楽譜を床に置きながら演奏したことによって、一人ひとりの心に染みていくものになった。予め、セットアップして「お客様座ってください」ではない、本当にいい演奏ができたかなと感じました。(佐藤さん)

 

(家族写真を佐藤慧さんが撮影したことをとっても喜んでいたことを受けて、SUGIZOさんから、この家族を追い続けるべきだよねという話を展開、その話を受けて・・・・)
喜んでいましたね、やっぱり平和の時の写真が持ってこれていなくて・・・どうしても写真は、後からお金を出して取り戻せるものでもないですし、この環境にいることは家族にとっては、とても大変なことかもしれないけれど・・・僕が中東に行って感じることですし、彼らから話を聞いてもそうなのですが、「家族と一緒にいられる、大切な人と一緒にいるということがこれだけ幸せなんだよ」ということを彼らから伝えられますし、写真をとっていてもそのように感じますね。(佐藤さん)

 

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ヨルダンの夜の町を回ってみて
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(佐藤さんからのヨルダンの夜の街は治安がいいという話を受けて)

中東は危ない、中東は治安が悪い、イスラムは危険だという情報を今でも僕たちは刷り込まれていると思います。実際行ってみるとわかることは、戦争中のシリアやイラクの話は別として、基本的に中東は平和です。つくづく思ったのは、皆が本当に暖かく旅人を迎えてくれる街。考えてみてくださいね、皆、ムスリムです。考えてみたら、彼らにとって「盗み」は非常に大罪なんですね。だから人のものを基本盗まない。確かに、僕も、難民キャンプにて30分くらい鞄を放置してしまいましたが、大丈夫でした。敬虔なムスリムになればなるほど、「盗み」は絶対にしないですよね、中には不良な奴もいるかもしれないから一概には言えないけど。初めてヨルダンに行ってみて思ったことは、はっきり言って渋谷の方が100倍危ない。日本の方が、子どもが子どもらしく外を歩けない。昼間だって小学生が1人で外を歩いて大丈夫だろうか?誰かがさらうんじゃないか?と心配になるのが普通だと思います。ヨルダンで今回思ったことは、子どもが子どものままでいられるんですよね。(SUGIZOさん)

 

お互い学ぶことがあるという目線があるといことがいいですね。どちらかが進んでいて可哀想な人達を助けるのではないですし、向こうがこちらに学べよという高圧的な目線でもない。せっかく違う文化ですので、ここがいいなと思ったら学びあえますよね。(佐藤さん)

 

(モスクを訪れた話の中で)

アザーンというのはお祈りの合図ですね。1日数回、町中で流れてくる音楽があって、それが数時間に一回訪れるのですが、そのアザーンの音が本当に美しいんですね。すごいきつい気を貰ってきてしまって調子が悪いときも、アザーンが町中に響くと、自分の中の邪気が取り払われるように感じて。とっても神聖な気持ちい町でしたね(SUGIZOさん)

 

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ザータリ難民キャンプを訪れて
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(キャンプでの演奏を振り返って)
なかなか盛り上がらないなと思ったのですが、(ムスリムの女性は)結構我慢するそうですね、おしとやかな昭和女性のような雰囲気で。それがもう段々盛り上がって、最後の方は、おばあちゃんも立ち上がって、わーっとなって。盛り上がりはすごかったですね。(佐藤さん)

 

最初は、ミュージシャンということで行きたいと思っていた訳ではないので、正直、どうかなと思っていました。少なくともロックミュージシャンという自己顕示欲で行くのはすごく嫌なんですよ、僕は。だから慎ましい気持ちで行きたいなと思ったのですが、逆に、演奏をすることによって、これだけ喜んでくれる経験もあまりなかった。勿論、日本で演奏活動をしていて喜んで一つになれるのはとても素晴らしいことなのですが、そことはまた別の意味がある。おそらく初めて生の演奏を見るとか、東洋人を見るのが初めてとか。そういう意味で言うと、僕らが演奏をすることによって、彼ら・彼女らや特に子供たちが、彼らが新しい大きなインパクトを手にして、それが子供たちの将来に何かささいなきっかけや人生においてちょっとしたポイントになってくれるのが幸せだなと思っちゃったんです。(SUGIZOさん)

 

どうしても困難な状況にいる人に対して、金銭的な支援、衣食住の支援というように考えてしまうのですが、人間は果たしてそれだけで満たされるでしょうか?例えば、僕らが1年間音楽はなしと言われたら、果たして僕らは同じように笑えるでしょうか?おそらくそうではないですよね。なかなか目につかないことかもしれませんが、そのような情操教育であったり、心に何か潤いを与える場がないと、笑い続けているということは難しいのではないかと思いました。(佐藤さん)

 

すごく大事なことだと思っているのですが、段階だと思っています。難民の人たちが、日本では被災地が、最初の段階は、やはり衣食住ではないですか。命を繋ぐことが第一優先。最初は生き抜くための食糧です。でも、まず命が繋がることが分かって、一つ安心して、次のステップに行く際には、それは食糧ではなくて料理でなければいけないんですよ。ただ、命を繋ぐ為に食べるのではなくて、食べることを楽しまなければいけない。音楽って、その段階で初めて必要になるんだなと僕は思っています。難民キャンプに彼らが生きているということは、命や生活が、まずは保障されていて、その次に心を、精神的な部分をいかに潤すことができるか、幸せを本当の意味で伝えられるかということがとても重要だという風に思いました。(SUGIZOさん)

 

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都市難民の方々を訪ねて
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(ヨルダンで生活をしているシリア難民のうち、難民キャンプで暮らしているのは、約2割で、8割の方は、都市でアパートなどを借りて生活をしています。都市で暮らしている難民の方々を訪ねて)

 

とても大事なことなのですが、やっぱり中東の難民を僕らが思うときに難民キャンプは想像しやすいんですよね。難民キャンプで苦しい生活をしている難民の人たち。ところが、実はそれよりもはるかに多い難民の方々は町の中にひっそり住んでいて、働くことができない。ぎりぎりの生活をして、支援もなかなか受け入れづらい。被災地に似ている。やはり、避難所は注目されてとても行き届くんですよね。でも実は、避難所に住んでいる人、もしくは、家が全壊でなくなってしまった以上に、家が半壊、家が傾いていて実はあぶないのだけど、保障はおりなくてぎりぎりの線の人たちが非常に多く、彼らの方がはるかに支援を必要としている。一見地味なのですが、現地に行かないと我々の目には映ってこないんですね。被災地と難民の方を見てみると、問題はとても似た種のものだなと思わざるをえない。僕たちが注目すべきことは、見えないところに最も苦痛があるということ。都市難民の方を訪問する中でつくづく感じました。また、都市難民の中にも、もともと裕福な人とそうではない人がいること。難民なんだけどある程度生活ができる人、実は被弾して負傷して生きることが精いっぱいのお父さんを持った家庭、全然違うんですよ。我々が支援できるところはまだまだたくさんあって、まだまだ知っていかなければいけないことがある。(SUGIZOさん)

 

難民と一言で言ってしまうと僕らが勝手なイメージを作ってしまうかもしれないですけど、やっぱり、抱えている問題は人それぞれ違って、それって行ってみないと分からない。行った人の行動力でそういう人がいたかもしれないと気付くことでもあります。(佐藤さん)

 

少なくとも日本にいたら分からないから、やっぱりできることなら、そういう機会を得ることは難しいかもしれませんが、現地に足を運んでほしいとつくづく思います。(SUGIZOさん)

 

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<今後、どのように難民問題にかかわっていきたいか>
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本当にまじめに難民キャンプでレイブパーティーをやりたい。これは喜ぶと思います。特に、大人の女の人たち、もう今日はいいからはっちゃけてという時間を作ってあげたい。彼女・彼らは、踊りたいんですよ、騒ぎたいの。それをずっと抑え込まないといけない。本当にレイブパーティーやダンスパーティー的なことを難民キャンプで開催することが可能になった時にはものすごい大きいことだと思う。生きるためのことはある程度達成されていきている。今これからの難民に皆さんに必要なのは、これからを生きていく為の光を見出すことなんですよね。いつかは必ず故郷に帰るという夢をちゃんと果たす為に。別に何でもいいんですよ、皆で楽しめることであれば。とにかく皆の心が潤うこと。単純にさらっとこのチームで現地に行って演奏してあそこまで盛り上がるということは、彼ら・彼女らは心の開放や感動を求めているのではないかとつくづく思ったので。そういうことが、僕じゃなくても色々な人ができるようになった時には、難民の皆の目の光が強く輝いてくるんじゃないかなと思います。(SUGIZOさん)

 

いつもは一人で行ってしまうので、他の方々がこの状況とどのように接するかを、武村さん・SUGIZOさんの背中を見させて頂いて、考えることができました。僕が一人一人できることは何なの?とイベントで聞かれることが多いのですが、それは分からないという回答になってしまいます。一つ一つ皆さんにできることは限られているかもしれないし、全然僕にも想像がつかないことができるかもしれません。少なくとも僕が一人の人間としてやっていきたいなと思った事としては、(写真を紹介しながら)この子達と再び会った時に、こういう目をしてほしいということです。それは子供たちがきれいな世界を見ていることもあると思いますが、目の前にいる僕自身がどうしようもなく格好悪かったらこんな目をしてくれないんですよ。まだ僕は大人たちの責任というのは全然果たされていないと考えています。格好いい背中を見せることができたら実は、勝手に育っていくことができて、希望も勝手に見いだせるのではないか。僕らにできることっていうのは、一人一人がちゃんと自分を肯定して、毎日正しい生き方をしているんだって思えるように、努力を続けることだと思いました。特に今回偉大なるお兄さんたち、SUGIZOさん達の背中を見させて頂いて、これほどまでに自分を世界のために高めようとするんだなという背中を見させて頂いて、皆が一人一人そうしていければ、世界は全然変わってしまうのではないかと思いました。(佐藤さん)

 

少なくとも、絆や友情というのは瞬時にできますよね。逆に言うと、人種や宗教や国境の壁は関係ないですね。(SUGIZOさん)

 

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会場とのQ&Aを受けて
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(大学2年生の方から、これから私たちに望むことは何ですか?という質問を受けて)

一番大切なことは、社会に目を向けること。若い皆の一人ひとりが社会を作っていくことがどういうことなのかを認識すること。一番悲しいのは社会に対して目を背けること、もしくは、自分が無力だと勘違いをしてしまうこと。(質問をされた方が)そうやって意識を持っていることだけで素晴らしいことだと思うし、その意識を仲間と共有するように頑張ってもらいたいし、ちゃんと選挙に行ってほしい。(SUGIZOさん)

 

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最後にSUGIZOさん、佐藤さんにお話をお伺いして
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(難民問題や社会問題に取り組むことで、無力感を覚えてしまうことがあった編集スタッフが、SUGIZOさんの「自分が無力だと勘違いをしないこと」というメッセージに対して、どうしたらそのような意識を保つことができるのか?という質問をさせて頂いた。その質問を受けて)

 

まずそもそも自分が無力だと思っているかどうか?というところになると、無力だと思っていた時期もありました。普段一人で取材するので、そのような状況に囲まれて、かつ、僕自身は飛行機に乗って帰れてしまう状況にあります。それで無力に感じて沈んでしまうことがしばしばありました。人間ダメなのではないか?という負のスパイラルになる。そこで他の人がいることによって違う視点が入ってきます。自分が考えられることがこれしかないのに、外に違う考えがあって、勝手に俺が絶望していた。未知なこと・知らないことは、ものすごい不安を掻き立てるかもしれませんし、人間の最悪のものを見せるかもしれない、でも、それと同時に希望があるかもしれない。僕はたまたま素晴らしい出会いによって気づくことができました。今は諦めなくてもいいし、今日不可能なことでも、明日は可能かもしれない。どんなに絶望的な状況でも人に会い続けたい、会い続けようと思います。人と出会うことで自分のことが見えるようになりますし希望を紡ぐことができるようになります。周りに人がいるおかげだと思います。(佐藤さん)

 

僕は10代のころから20歳くらいまでは、無力感の中に生きていた。いわゆる田舎のヤンキー少年ですよね。特に、15・16歳のころがピーク。自分がそこから這い上がる「糧」が音楽でありギターでした。自分が好きなことを見つけたこと、集中・熱中できることを見つけたこと、その次に、自分が好きな人がいる。家族でも恋人でも子供でもいい。自分が変わっていったのは、自分を信頼することができない・自分が嫌い・情けない・格好悪い、でも自分がもしかしたら“いける口かも”とは音楽が思わせてくれたことにあります。恋人だったり、特に大きかったのは、20代中盤に娘が生まれましたが、愛する存在によって、その人を守りたい・幸せにしたいと思うようになりました。それによっておのずとやるべきことが分かってきます。好きな人ができて、好きなことがあって、それで自分が大切に思えるようになった。好きなことを持つだけでいいと思います。愛する人、それだけでいい。家族だけでもいい。好きなものの為に、自分のエネルギーを焦がすことができる。好きなことがない人はいないと思います。逆に言うと、全ての人が力を持っているのだと思います。(SUGIZOさん)

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