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笑顔でつくる子供の未来

楽しい生活から一変、恐怖と戦う日々
「逃げろー!!」
怒号が飛び交った。2011年3月11日午後2時46分。日本いや、世界中が巨大地震によって揺れたのである。その巨大地震の中心が日本だった。後に東日本大震災と人々は呼んだ。
体験したことのないほどの揺れだった。皆、高い所へ避難するようにと叫び背後から迫り来る津波から逃れるのに必死だ。老若男女が懸命に高台へと駆け上がる。その直後だった。背後から迫り来る津波は川を逆流し、今まで住んでいた街ごと飲み込んだのだ。あっという間に辺は戦後の日本を彷彿とさせる状況になったのである。震災での死傷者数は過去最大級となった。そして日本は戦後始まって以来の危機的状況になったのだ。そこで世界各国は日本のために救援物資を送ったり人命救助をしたりと日本を助けてくれたのは言うまでもない。
しかし6年経とうとした日本は本当の意味で立ち直ったわけではない。震災の影響で家族を失う者、福島の原発事故で外では満足に遊べない子供たちなどこういったソフト面での対応が行き届いていない。そこで山梨県の学生3人が立ち上がったのだ。

 

3人の勇者
3人の勇者が立ち上がった。「この指とまれ!」という団体が2013年に山梨で出来たのだ。
まだ団体の形になる前の2012年、震災の翌年にじゃんじゃんキャンプを主催していたNPO法人山梨ナチュラル工房が資金的な事情によりキャンプ開催が困難になったのである。そこで当時キャンプに関わっていた学生3人が立ち上がったのである。キャンプを開催しようと。これは後の「この指とまれ!」である。
そこのあるメンバーに訪ねてみた。なぜキャンプをやるのかと。答えは明瞭であった。
「子どもとその親御さんに笑顔になってもらいたいから。 外で遊ぶ、自然に触れるといった子どもにとって当たり前のことが当たり前に享受できない子ども達がいる。子どもにとってそれは当たり前で、成長するのに必要なことだから。 日々の不安を抱えた生活から解放され、安心な空間でキャンプを楽しむことで精神的な保養を提供したいから」
本来、国がすることなのかもしれない。しかし3人の学生は自ら考え行動し周りを巻き込んでいった。
「この指とまれ!」に福島県はこう映っている。
「福島県内でも地域によっては震災前と同じ放射線量のところもあれば、まだ高いところもある。 放射能のことを気にせず、外で遊べる、遊ばせられるようになるまでにはまだまだ時間がかかる」と。

 

子供たちの純粋な笑顔が広がる時へ
「この指とまれ!」は子供たちへ笑顔を届けるため第10回保養キャンプを開催する。そのためにクラウドファンディングを行っている。日本の子供たちの未来をみんなで作っていくことが出来る。過去に9回もキャンプを開催している。その度に子供たちには笑顔が広がっていく。少しずつではあるが、小さな力が大きな力へと変わっていく・・・。

 

大自然の中で思いっきり遊べる日が来る福島を願って。

 

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