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『震災から7年~故郷への思いと福島の人々~』

多くの人が犠牲となった東日本大震災から、 2018 年 3 月 11 日で 7 年となった。今でも、その爪痕はあちこちに残っている。

2018 年3月21日、 AAR Japan 主催で被災者の NPO 法人のメンバーの講演が、 AAR 事務所 ( 東京都品川区上大崎 ) で開催された。その会場がほぼ満席状態であったことから、今でもこの震災へ思いや関心がある人が多数いるのではないかと見える。

東京で福島の今を考えることが出来るイベント、難民を助ける会が3/21に開催。

講演をしたのは、『 NPO 法人富岡町 3.11 を語る会』のメンバー・青木淑子さん。青木さんは、福島県富岡町に住んでいる。やはり、震災以前と比べると帰郷している人は少ないという。富岡町の名物である桜も、見物できる場所が大きく制限されている。こうして、自分の住む町が無くなっていくのではと懸念する姿があった。

講演をされる青木さん

青木さんは震災時、避難する道中や避難先で幾多の苦難を目にしてきた。郡山市のビッグパレット福島では、支援スタッフも人手不足で混乱していた。避難していても帰宅できるという保証は全くと言っていいほど無かった。そこでは、大きな声を出してみんなをまとめられるリーダーや、避難所でのサポートや交流をするスペースの必要性をとても実感した。青木さんは語り部として、一人一人の状況を聞いていく活動を今後も続けていくと意欲を表した。

その後、 AAR 東京事務局職員の高木卓美さんと青木さんの対談形式となった。

対談をされる青木さんと高木さん

そこでは、被災地へ帰る人と帰らない人について主に話された。浪江町から東京都に避難した人によると、身の回りに居場所が無く苦しい生活を送っているという。もう住めない家を壊すにも、大きな決断が要る。被災地へ帰ったとしても、震災前のような生活は容易に送れない場合がある。しかし、高齢者の方々には「帰りたい」との声が多いそうだ。大切なのは、どこにいても信じて住むこと。全ては個人の選択、と青木さんは語った。

筆者は、福島県の震災の被害が小さかった地域に住んでいる。だからといって、震災や原発に関わる問題を無視できない。出来ることを少しずつ、福島を信じてやっていきたい。そう思う。

AAR Japanの福島支援に関連する情報はこちらからご覧頂けます!
http://www.aarjapan.gr.jp/activity/japan/#tohoku

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