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伊勢崎賢治さん、佐藤慧さんと考える、 世界を平和にするために必要なこと、イベントレポート

2/23 (金)、ソーシャルスタンドでは伊勢崎賢治さんと佐藤慧さんをお招きして、JAZZトークライブを開催した。トークテーマは「世界を平和にするために必要なこと」

【2/23開催】ソーシャルスタンドナイト#3 JAZZトークライブ:伊勢崎賢治さん、佐藤慧さんと考える、世界を平和にするために必要なこと

お2人が見てきた世界各国のお話、紛争の現場など、さまざまな視点からトークが展開されていった。

■佐藤慧さんプロフィール
1982年岩手県生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト、ライター。

 

世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国家-人種-宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。

アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。

 

2011年世界ピースアートコンクール入賞。著書に『Fragments 魂のかけら 東日本大震災の記憶』(かもがわ出版)、他。東京都在住。

人間は、違う未来を見たかったのではないか? フォトジャーナリスト:佐藤慧(さとうけい)さんインタビュー
■伊勢崎賢治さんプロフィール
JAZZトランぺッター / 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授1957年、東京生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インドに留学中、現地スラム住民の居住権をめぐる運動に関わる。国際NGOで10年間、アフリカの開発援助に従事。2000年より国連PKOの幹部として、東ティモールで暫定行政府の県知事を務め、2001年よりシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長。2003年からは、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担った。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)など多数。伊勢崎賢治 ジャズ・トランぺッターfacebookページ:https://www.facebook.com/kenji.isezaki.jazz
伊勢崎賢治 ジャズ・トランぺッターページ:http://kenjiisezaki.tumblr.com/

佐藤慧さんはフォトジャーナリストという仕事で、さまざまな世界の問題を写真に収めながら主に日本に情報発信をしている。佐藤さんがなぜ海外に通い続けるか、それはまさに「楽しいから」。

世界の逢ったことのない人に逢い、見た事のない文化に触れることが、とてつもなく自分自身を豊かにしてくれるからだ、という。
しかし、世界には行けない地域がある。もっともっと色々なものが見たいのに、もっともっと色々な人とふれあいたいのに、普通に旅行者が行けない地域があるというのは非常にもったいない。訪れる前に爆撃でなくなってしまう遺跡だって文化だってたくさんある。

殺されてしまった子どもたち、彼らはもしかしたら将来ものすごい文化を築くかもしれない、それらが失われてしまうことが本当に残念だ、という。

お二人のトークで印象的だった部分をピックアップした。

パレスチナ ベツレヘム
こんなにも壁が物理的に人を分断しているんだということに非常に驚いた

つい数日前まで佐藤さんが訪れていたパレスチナ、ベツレヘムの大きな分離壁の写真を見せてくださった。片方ではパレスチナの子供たちが普通に学校に通い、遊んでいる。もう片方はイスラエルの入植地と呼ばれるイスラエル人がつくった街がある。こんなに壁が身近にあるんだということは実際に見なければわからなかった。こんなにも壁が物理的に人を分断しているんだということに非常に驚いたという。伊勢崎さんがイスラエル、パレスチナを訪れたのは1998年。そのころは壁自体がなかったという。その後から徐々に壁がつくられてしまったのだそうだ。

アフリカ ザンビア共和国
実際に行ってみると人々の生活は「普通」そのものだった。

佐藤さんはもともとアメリカのNGOに所属していて、そこから派遣され、はじめてアフリカで長期滞在をしたのがザンビアだった。アフリカに行く前はアフリカは、治安も悪く、病気も蔓延していて、人がたくさん死んでしまう怖いところなのではないか、そんなふうに思っていた。でも、実際に行ってみると人々の生活は「普通」そのものだった。

ザンビアでは電気もガスも水道もない生活だったのでとてつもなく不便ではあったが、不便は不便なりに楽しく、人と触れ合う時間がたくさんあった。食事も豚を自分でさばいて料理をする。まさに目の前の命を直接いただくという経験ができたことで自分自身がこうして生かされているんだ、と感謝する大切な機会になったという。

佐藤慧さんのザンビア時代の経験はこちらからもご覧頂けます。

人間は、違う未来を見たかったのではないか? フォトジャーナリスト:佐藤慧(さとうけい)さんインタビュー

東ティモール
人間の希望や、そこに向きあう人の、ものすごい強さ

伊勢崎さんも佐藤さんも東ティモールに縁が深い。伊勢崎さんは和平をつくるために知事として赴任していたそうだ。まさに政治的なリーダーとして和平を導いていた。佐藤さんも東ティモールには何度も訪れている。

東ティモールの人々は、たくさんの人たちが、大切な「誰か」を失った経験をしている。

佐藤さんが東ティモールでお世話になった人の中にゼキトさんという方がいた。 ゼキトさんは小さいときからジャングルの中で暮らしていた。インドネシア軍が攻めてくるので普通の暮らしなど出来なかったのだそうだ。10代のときにゲリラを助ける仕事をしたことで指名手配されてしまう。その後、イギリスに逃亡し、イギリスで国際法を学んだ。

2012年に東ティモールに戻り、現在は弁護士として国を建て直す仕事をしている。ある日、法廷に戦争犯罪に関わったという人が現れた。実はその人はゼキトさんの親族を殺し、ゼキトさんの家をぼろぼろに壊した人物だった。まさにゼキトさんにとっては憎しみの対象でしかないような人。だが、ゼキトさんはその人物に対して赦す、という判断をしたのだそう。このまま憎しみを続けていったら、自分だけの世代ではなく次の世代にも続いてしまって、今いる子どもたちの命を奪うことになってしまう。せっかくこの国が和平にたどりついているのだから、きちんと自分の世代で怨念を断ち切らないといけないと判断したのだという。

佐藤さんが世界中の凄惨な場所に行って一番「頂く」のは、人間の希望や、そこに向きあう人の、ものすごい強さ、だという。実際に自分の家族が殺されたら、自分だったら殺した相手を復讐したいと思うだろう。でも復讐したとしてもそれだけでは世の中は変わらない、そう思って復讐することをやめ、赦す事を選ぶ、それを実践されているゼキトさんのような方がいて、そういう方と出逢うことはとても学びがあることだった、という。

社会的抑圧があるところには反動として物凄いアートがある

伊勢崎さんの言葉で非常に印象的だった言葉がある。構築する平和なんてない、という一言だ。伊勢崎さんは様々な国で平和維持活動をしていらしたが、そのような現場において、そもそも維持する平和などないケースが多い、と感じたそうだ。国連PKOが実際に戦闘しているコンゴなどは平和維持活動なんかとは言えないのだ、という。

変化し続ける世界情勢をまさに世界中で見てきた伊勢崎さんは、現在文化的な交流に高い関心を持っている。

例えば、ワルリーペイントというインドの農村の最下層の人たちが描くアート。カーストの最下層で死体の処理や糞尿の処理などを伝統的にずっとさせられてきた人たちが描いているものである。象形文字のような感じで、インドの現代美術に影響を与えている。それらを中間搾取されずにネットで直接販売し、描いた人と買い手が繋がれるようなそんな仕組みをつくりたいのだそう。

人権侵害が起きている現場で、「人権が!」、と外野が騒ぎ立てると拒否反応が起きたり、摩擦が起きてしまい、最悪のケース、現地活動家や関係者が殺されてしまう可能性がある。

あえて、その場所でなにか売れそうなものを発掘してきて、先進国で売る、そういうことをやりたい、という。伊勢崎さんは現在、インドのカシミールでもそういった活動を行っている。そして日本でもそういうものの需要をもっとたくさんつくるべきだという。

社会的抑圧があるところには反動として物凄いアートがあるのだそうだ。そういった多様な文化を私達もぜひ見てみたいし、生活の中でインテリアとして取り入れるなどの習慣ができたらどんなに素晴らしいだろう。世界中にある多様な文化によって人と人との距離がなくなり、もっと世界の音を楽しみ、世界の料理を味わい、世界中の人と泣いたり笑ったりすることができたら、世界平和に近づくことができるかもしれない。

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