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凸凹さんが未来をつくる 「生きていくことに希望を持ってほしい」

あなたのまわりに凸凹した人はいますか?
もしくは、あなた自身が生きづらさを感じていませんか?

このシリーズでは「発達障害」のことを広く知ってもらうとともに、
日々、発達障害の子どもと接している方々に伝えたい内容を発信していきます。

最初にお話を伺ったのは、大人になってから発達障害とわかったAさんです。

「保育」を学んでいるときにわかった「発達障害」

 

都内の児童館で働くAさんは37歳。

まだ「発達障害」という概念がなかった時代に子ども時代を過ごす。

「空気の読めない変わった子」として中学までさまざまないじめを受け、

友だちは一人もできなかった。

妹が2人いるが、それぞれ友だちと遊びたい思いがあるので

その中に入って妹の友だちに気を遣わせるのは悪いと感じ、遊ぶことは遠慮。

そのため、図書館で本を読み、そこにいる大人たちと話すことだけが救いだった。

 

成績が優秀だったAさんは、

有名大学を卒業後、青少年施設で社会人生活を始める。

しかし、誰もが当然できると思われていた仕事ができず、評価はさんざん。

温厚で知られる上司が机をひっくり返して怒ることもあった。

 

それでも、上司や先輩などまわりの人たちに支えられながら

同じ職場で「ボランティアコーディネート」の仕事を3年続けたのち、

Aさんは仕事を辞め、中国に留学する。

耳がよく、聞いた音をそのまま口頭で表現できるAさんは

現地で中国語を学んだ。

 

帰国後、Aさんは一般企業に就職。

前職は勤務日時が不規則だったことがつらかったため、

土日祝日がお休みで、9時から17時までの勤務の仕事を選んだ。

しかしそこは、「決められた作業を毎日こなす」ことだけが求められる職場だった。

同僚の会話は、

「ねえ、明日どんな服を着る?」

「今日は何を食べようか?」

それらに興味のないAさんは、適当に相槌を打って合わせる日々。

そんなとき、東日本大震災が起きる。

 

「ここで死んだら後悔する!」

そう感じたAさんは、会社を退職。

大学時代から興味があった「子どもと接する仕事」を志し、

勉強するためのお金を貯めてから

2012年4月、保育の専門学校に通い始める。

 

その専門学校の先生が、Aさんの様子が普通でないことに気づく。

学校で学ぶ教科は「保育」だったが、

先生は「大人の発達障害」について折に触れ教えてくれた。

 

専門学校を卒業後、今の仕事に就いたAさんは、

先生の勧めもあり、思い切って病院で診断を受ける。

結果は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」。

知能検査では、言語性IQと動作性IQ(社会で必要とされる作業ができるかを測る)

の差が20ほどで就労施設での勤務となる場合が多いところ、

Aさんの差は37。

これだけ差があるのに、まわりからの期待値とのギャップによる

二次障害(うつ病など)が出ていないのは奇跡だと言われた。

 

今までの苦労に納得がいった。

思い返してみると学習障害(LD)もあったようで、

子どものころは文字がうまく書けなかった。

字を書くと思考の方法もスピードも変わってしまうため、

中学時代にワープロを買ってもらい、それで宿題を提出していたぐらいだった。

算数でも、焦って書いた自分の数字が読みにくく、

そのために計算ミスをすることもあったと言う。

 

必要だったのは「同世代で一緒に遊ぶ体験」

 

自分が発達障害であることを職場に公表したことで、

以前よりはストレスを減らしながら働くことができている。

発達障害のことを理解して配慮をしてくれる人もいれば、

する必要がないと考える同僚もいる、という環境だ。

Aさんは現在、児童館で働きながら

おもにビジネスパーソンを相手に発達障害についての理解を広げる活動をしている。

発達障害で悩む大人を医療現場につなげること、

発達障害の人が働きやすい社内環境を整えることが願いだ。

 

「今の社会を少しでも変えたい」

それは、自分自身の体験に基づく思いだ。

同世代の友だちと群れたい小学生時代、

毎朝上履きを隠され、ブルマを切られる日々。

ランドセルを投げられて壊され、3回買い替えた。

洋服にフンをつけられたり、

「生まれてきてごめんなさい」と校庭で謝るよう強要されたり……。

学校の全員からいじめを受けていたため

先生の手にも負えず、転校を勧められたこともあったそうだ。

 

「同世代の遊びのなかで培われるコミュニケーション能力」

子ども時代にそれを学べなかったことが、Aさんの心にずっと引っかかり、残っている。

同年代と人間関係を築くのが難しいのだ。

ある医師によると、

発達障害の人は前頭葉の発達が遅く、30歳ぐらいでようやく完成するとのこと。

つまり、発達障害者の子ども時代の前頭葉は幼すぎて

同年代と遊ぶことが難しいということだ。

Aさんは、「大人が間に入って同世代が一緒に遊ぶ時間を作ってあげる」

必要性を感じている。

子ども時代は短い。

自分は体験できなかったけれど、

児童館に来る子どもたちには楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと願う。

 

生きていくことに希望を持ってほしい

 

専門学校で保育を学んでいる時期、

Aさんはソーシャルワークも学びたいと思い立ち、

ある財団の公募に応募し、ハワイ大学に短期留学をした。

そこで教えられたのは、

「発達障害でも、工夫次第で何でもできる!」ということ。

 

できないことにばかり目を向けるのではなく、

「自分はこれができない」と伝えられるようになることが大事。

子どもに合った環境の修正方法があるので、

本人に合ったカリキュラムを作ってあげると効果的であることを知った。

実際に、発達障害でありながら

ハーバード大学を卒業して世界的なIT企業の部長になっている例も。

「発達障害であることを怖がらなくてもいいんだ」とAさんは感じた。

障害者手帳を取得したからと言って、

昨日までの自分と何かが変わるわけではない。

 

Aさんは、人との出会い・環境が大事だと実感している。

発達障害への理解が浅く、

「何か突出したものがあるのだろう」と過剰に期待されたり、

苦手なことができるようになるまで伸ばそうとしてくれる人と一緒に何かをするのは

お互いにつらいことだからだ。

また、いろいろなことを経験することも必要だと感じている。

 

「生きていくことに希望を持ってほしい」

今はつらくても、明日はもっとよくなるかも。

場所が変わったら、国を変えたら、もしかするとよくなるかも。

「がんばった」という経験も大切だが、

自分らしくいるために選択肢を広げるという方法もある。

未来はきっと明るいと信じて生きてほしいと

Aさんは願っている。

発達障害の歴史はたかだか20年あまり。
その概念がなかったころに子ども時代を過ごした方々は、
する必要がなかった苦しい思いを経験していることがよくわかりました。

私の子どもも自閉症スペクトラム障害。
今は発達障害への理解は広まり、深まりつつあるため、
学習面でもコミュニケーション面でも手厚いフォローがあります。
しかし、ルール理解が難しいこともあり、同世代と一緒に遊ぶことはほとんどできません。
Aさんのような方々が間に入って
子どもたちを遊ばせようとしてくれることは本当にありがたいと思っています。

Aさんは、公募や懸賞などで過去6回海外を経験したとのこと。
「どうせ当たらないだろう」と尻込みする人が多いなか、
やってみたいと思うことに迷わず挑戦する行動力は
Aさんの武器であり、大きな魅力だと思いました。

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