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生きる自由と選択の自由 (1)

今回は生きる自由と選択の自由とは何かということについて考えたいと思う。

日本の全体的な流れとして義務教育⇒高校入学⇒大学入学・(大学院入学)⇒就職(CMに出るような有名企業)、このような人生が理想的だと思ってはないだろうか?

そして兄弟がいて父母と一緒に一軒家で食卓を囲む。日曜日には車で買い物。これが一般的な生活、“普通の生活”だと思ってはいないだろうか?

なぜこのような共通認識が生まれるのかというと日本のメディア(ドラマなど)で目にすることが多いことや日本の教育、集団行動などが少なから背景としてあるだろう。日本は比較的自由な国ではあるがこのように自ら制限をかけてしまっている節がある。良いか悪いかは別として何事にも選択肢は多いほうがいい。その中から正解だと思うものを選べばいい話なのだ。その選択肢の一つとしてセネガルで野球を広めるという選択肢を選んだ青年がいる。その物語を追ってみよう。

 

【生きるとは・・・楽しむこと?好きなことをやること?ワクワクすること?】

 

Q.まずは、自己紹介からお願いします。

青年海外協力隊員としてセネガルで野球の指導・普及活動をしている小川龍馬と申します。小学校入学と共に野球をはじめ、平塚リトル、平塚リトルシニア、横浜高校で12年間選手としてプレーをしました。明治学院大学に入学してからは神奈川県立湘南高等学校で嘱託コーチとして野球部の指導を行っていました。セネガルには子供のチームが3つあり、その中の1チームを中心に指導を行い、その他の2チームには定期的に足を運び指導を行っています。

 

Q.なぜ、セネガルで野球を広めようと思ったのですか?

アフリカに野球を広めたいという思いが大学生時代に芽生え、その中でもどこにしようかと考えた時にどうせやるなら野球不毛の地の西アフリカでチャレンジしてみようと思い、セネガルに決めました。

 

次回はもっともっと深く追っていこう。そしてどのような考えでセネガルの野球を広めどんなことが起こったのか?探っていく。
 

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